あの時・今・明日 ミャンマーつれづれ 日記

2021年3月5日

1月末まで、私たちはZoomを使った定期ミーティングでスタッフとしょっちゅう話をし、笑い、熱く議論していた。コロナの影響で直接会えない分、密に連絡を取り合い、なんとかできる方法で仕事を一緒に進めてきていた。それが2021年2月1日を境に世界が変わってしまった。現地から送られてくる人で埋め尽くされた写真の背景に、自分が1年半前に、ぷらぷら歩いていた景色が見える。仕事帰りにドラゴンフルーツやアボカドを買った路面店が並んでいた場所。その場所でいま人が命を落とし、血が流れている。
(吉留 桂)

2021年3月5日

スタッフの一人はヤンゴン市内でもデモが激しいエリアに住んでいる。ニュースで近くの景色を見かけるたびに胸が痛くなる。自宅に最低2か月暮らせるだけのものを備え、生鮮食品は、集合住宅の警備員さんに頼んで、近所の市場に買いに行ってもらい、一歩も外に出ない生活をしている。その市場も今では早朝にしか開かなくなったという。
(腰原 亮子)

2021年3月6日

2019年10月にミャンマーに出張した時、女性スタッフの1歳の息子に会った。「名前なんて言うの」と訊くと「名前はまだないんです。」と言う。「え、じゃ、なんて呼んでいるの?」と訊くと、日本語なら「赤ちゃん」に当たる呼び方をしているという。2020年、Zoom会議の始まる前に「息子の名前、決まった?」と尋ねたら、彼女はにっこりとうなずいた。2歳になったという。あの男の子、つい最近まで、家の近所の路地をお母さんやお父さんと手をつないで歩いていただろうに。いま銃声の響く毎日でどれだけ怖い思いをして過ごしていることだろう。なぜ、一日の終わりに安心して眠ることすらできない日々になってしまったのか。
(吉留 桂)

2021年3月7日

スタッフの家のすぐ近くで、小さな子どもが背後から撃たれて亡くなったという。「自分は助けてあげることができず、泣いている」と医師である彼は連絡してきた。
(吉留 桂)

2021年3月8日

ミャンマーもストリートフードが美味しい。ヤンゴンに滞在していた時にもよく食べた。昼間車がよく通る道路にも夜には屋台が張りだされて人がたくさん集まってくる。今、あの人たちはどうなってしまったんだろう。毎晩好きな屋台でお腹を満たすという「普通」の日常は、どうやってミャンマーの人たちの手に戻るんだろう。
(矢口 真琴)

2021年3月8日

昨日から現地情勢がさらに悪化し不当で残虐な暴力行為のニュースが多く入ってくるようになった。日本にいてさえメールやニュースをチェックするのが恐ろしく不安にさいなまれる。その中で日本での報道は減っているように見える。今ミャンマーにいる人はどれほどの不安と恐怖の中にいるのか。
(腰原 亮子)

2021年3月15日

現地から届くメールに、普段使わない英単語が書かれている。単語を見るだけでも恐怖を感じるのに、スタッフたちはその中でいま生活している。
(吉留 桂)

2021年3月16日

私が最初にミャンマー出身の人と話をしたのは、アメリカに留学している時だった。「時々国に帰るのですか」と尋ねると、「僕は学生運動をしていたからもう国には戻れないんだ」とその人は答えた。その時彼が言っていたことの意味を、20年以上経ったいま理解している。
(吉留 桂)

2021年3月18日

いつでもしたい時に連絡が出来ることのありがたさを感じる。ミャンマーは一時期、電話連絡やインターネットの普及が遅れていた。今は昔より厳しい状況になっている。
(腰原 亮子)

2021年3月23日

東京では桜が咲き始め早くも見ごろを迎えつつある。ミャンマーではパダウの咲く頃。ミャンマー人にとってのパダウは、おそらく日本人にとっての桜のようなもの。今年のパダウを皆はどのように見ているのだろう
(腰原 亮子)

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