日本の子どもたちは、ランドセルを背負って「小学生」になる。ランドセルは、子どもが学び始めること、学びを通して自分の人生を拓いていくことへの祝福や応援が込められた「贈り物」なのだ。
ジョイセフは、日本で大切に使われたランドセルをアフガニスタンの子どもたちに贈り、就学支援につなげるプロジェクト「思い出のランドセルギフト」に取り組んでいる。2004年の開始以来、寄贈した数は約30万個。この活動は、思い出の詰まったランドセルを寄贈してくれた日本の子どもたち、そのご家族、支援企業やサポーターの皆さんの協力で、コロナ禍をも乗り越えて続いてきた。
2025年6月、ランドセル発送前の検品に、市民ボランティアや支援企業の方々が集まった。今回、ジョイセフスタッフである筆者は初めてこの検品に参加。多くの出会いや学びがある中で気づいたのは、ランドセルがアフガニスタンの子どもたちの未来を変えるだけでなく、贈る側にとっても大きな意味を持つということだった。
目次
- アフガニスタンから日本に移住した高校生が「伝えたいこと」
- 学生が動くと世界が変わる!ランドセルで広げるSDGsアクション
- 報道だけでは見えてこない、アフガンの子どもたちとランドセルの物語
- ランドセルを受け取った子どもは、このことを忘れない
- 贈られたランドセルが、いつか平和の「種」になる
- ランドセルを受け取る人も、贈る人も、新たなステージへ向かっていく
ランドセル検品中、ご両親と娘さんの家族連れを見かけて声をかけた。中学1年生のメイプルさん(ニックネーム)は、自分のランドセルを寄贈したばかりだそう。山と積まれた数千個のどこかにあるはずで、「再会できたらうれしい」と話してくれた。特徴を訊ねると、ランドセルは水色。傷もなくきれいな状態だという。
「小学4年のとき、国語の教科書に載っていた『ランドセルは海を越えて』というお話を読んで、寄付したいと思ったんです。きれいなランドセルを贈りたくて、卒業まで大切に使いました」
その著者で写真家の内堀タケシさんが、今日の検品イベントにも応援に来ていた。さっそく内堀さんとメイプルさんの対面が実現し、喜ぶお二人の写真をパチリ。素敵な出会いに立ち会えてうれしくなった。寄贈したランドセルとも再会できますように!
アフガニスタンから日本に移住した高校生が「伝えたいこと」
ボランティアの皆さんは、どんな思いで参加しているのだろう。アフガニスタン人の高校生ライリ・ハシミさんと、一緒に作業していた獨協大学生の皆さんにお話を聞く。
「私はイスラム教徒なのですが、今日は犠牲祭といって、家族が一緒に過ごす祝日です。キリスト教の人が家族でクリスマスを祝うような感じですね。でもランドセルを贈る活動は大事だから、ここに来ることを選びました」
ライリさんはアフガニスタン北部の出身。タリバンが政権を奪還する前の日に出国し、イランとトルコを経由しながら高い倍率をくぐり抜け、日本のインターナショナルスクールで学ぶ機会を得た。「いつか祖国のために働きたい」という思いで国際経済を学び、小学生にアフガニスタンについて伝える授業も行っている。
「日本の子どもたちは、好奇心を持って話を聞いてくれます。アフガニスタンの人々のこと、起きている問題について知ってもらうことで、日本のみんなと一緒に未来を変えていきたいです」

アフガニスタンから来た高校生のライリさんと、一緒に作業する獨協大生の皆さん
タリバン政変後、ニュースで伝えられるのは、女性への抑圧、教育や就労の禁止といった悲しい情報ばかり。祖国の友人たちも勉強を続けられなくなり、外出が制限され、10代なかばで結婚や出産をしたという話が聞こえてくる。
「でも、それがアフガニスタンのすべてではありません」とライリさんは静かに言葉を継ぐ。
「豊かな自然や文化、歴史と伝統。土地に根ざした人々の暮らしがあることを知ってほしい。今日、こんなにたくさんの人がアフガニスタンの子どもたちのために集まってくれて、うれしいです」
ライリさんはインターネットで「思い出のランドセルギフト」を知り、ジョイセフに連絡して交流を持つようになった。その彼女が、今日は獨協大学の学生さんたちと力を合わせて検品をしていた。こんな出会いから、また新しい何かが動き出しそうだ。
学生が動くと世界が変わる!ランドセルで広げるSDGsアクション
ライリさんと一緒にいたのは、獨協大学生の皆さん。所属する高安健一教授のゼミ(通称:高安ゼミ)で、途上国の貧困や経済問題の解決をめざして研究を行っている。獨協大学は埼玉県草加市にあり、同市ではSDGsという目標のもと、市民や教育機関、事業所、団体などがタッグを組み、持続可能なまちづくりを進めていると聞いた。
「思い出のランドセルギフト」プロジェクトは、SDGsの17目標のうち、1貧困、3健康、4教育、5ジェンダー平等、12つくる責任・つかう責任、16平和と公正、17パートナーシップと、多くのゴールに貢献する活動だ。高安ゼミでは市内でランドセルを集める企画を練っており、100個単位の寄付をめざすという。
一緒に検品作業をしていた高安教授は、「コロナ禍から若者が海外への関心を失い、内向きになったと感じますが、うちのゼミではアフガニスタンの研究を通じて学生の視線が国際協力へ向かうようになりました」と話す。実は、ジョイセフでマーケティングを担当する栗林は同ゼミの出身だ。ランドセル検品会場で恩師や後輩との再会を喜んでいた。
学生の皆さんは「国際協力のリアルな現場に参加できて良かった」とうれしそう。ライリさんや多くの参加者と交流し、活発に意見を交わしていた。
報道だけでは見えてこない、アフガンの子どもたちとランドセルの物語
検品作業の合間に、前出のライリさんとフェリス女学院大学の学生2名によるトークセッションや、写真家・内堀タケシさんのレクチャーがあった。内堀さんは長年ジョイセフと一緒に「思い出のランドセルギフト」プロジェクトに取り組んでおり、著書の『ランドセルは海を越えて』は小学4年生の国語の教科書でも紹介されている。
途中、この活動の発足時から20年以上携わってきたジョイセフの甲斐による説明も添えられ、マスコミの報道ではわからない、アフガニスタンの「素顔」にふれる話を聞けた。
「昔はランドセルといえば赤と黒でした。それをアフガニスタンで配付すると、男の子は赤、女の子は黒を選ぶのです」と話す内堀さん。こんなエピソードから、女性は控えめに慎ましくあるべきという現地の社会規範が想像できる。暗色のブルカで全身を覆う女性たちの姿が目に浮かぶ。
アフガニスタンには、建物がない青空教室がたくさんあるそうだ。先生がしゃがみ、地面に指で字を書く。子どもたちも先生を囲み、見よう見まねで砂に字を書く。クラスにはさまざまな年齢の子どもがいるが、みんな家ではよく働く。水汲みや炊事洗濯、家畜の世話、農業や商売など家業の手伝い、弟妹の子守り。誰でも学校に行けるわけではなく、貧しさから1日中家の手伝いをする子もいる。特に女の子は10人に4人しか小学校を卒業できない。
だからこそ学校でのランドセル配付には意味があるという。同じ村で、ランドセルを背負って学校に行く子どもを見た人々は、自分の子も通わせたいと考える。男の子も女の子も一緒にランドセルを背負っている姿を見れば、娘を持つ親たちの心も動かされるのだという。
ジョイセフの甲斐は、「正直、ランドセルの寄贈を始めるときは疑心暗鬼でした」と当時を振り返って言う。明日食べるものもない貧しい家の子が、ランドセルをもらったくらいで学校へ行くのだろうか。しかし実際は、驚くような変化が起きた。
「日本のランドセルは、アフガニスタンの子どもたちの宝物になりました。夜も抱いて眠ったり、兄弟姉妹全員が順番に使ったり。配付された村々で、ランドセルは子どもが学校に通うことのシンボルになり、男女問わず学校へ行かせる家庭が増えていったのです」
ランドセルを受け取った子どもは、このことを忘れない
アフガニスタンで長年活動してきた内堀さんは、現地の人々と関わって感じたことを教えてくれた。日本人に顔つきが似たハザラ人が暮らす地域で、親戚と間違われて抱きしめられたこと。車のタイヤがパンクして困っていたとき、通りがかったドライバーが予備のタイヤを譲ってくれたこと。自分もパンクしたら困るじゃないかと内堀さんが心配すると、「また誰かにタイヤをもらうから大丈夫」なのだという。
「善意しかない、裏切らない人々にたくさん会いました。お金を知り合いに届けたいと言えば、人づてに手から手へ渡り、ちゃんと届くような土地です。今日検品した数千個のランドセルを受け取る子どもや親御さんたちも、このことを決して忘れないはずです」
タリバン政変から逃れてきた高校生のライリさんは、「このランドセルをもらう子たちは本当に幸せ。カバンを持ったことがない子どもたちですから」と話す。ライリさんが勉強を続けるために、一家は国を出る決断をした。その後アフガニスタンでは女の子の中等教育が禁じられ、大学進学や仕事に就くことも難しくなった。
国に残った人々はどうしているか。10代なかばで結婚・出産をした同級生たち。英語や数学をこっそり年下の少女たちに教える友人もいる。それすら禁じられていて、見つかれば大変だ。それでも「学びたい」という女の子たちの願いはやまない。
「女の子たちが自分の体と健康を守れるよう、せめて小学校だけでも通って、読み書きを学んでほしい」とジョイセフの甲斐は力をこめる。「私たちは政変後もタリバンの了承を取りつけ、ランドセル配付を続けてきました。その重要性は現地でも認められているんです」
古代から文明の十字路と呼ばれて栄えたアフガニスタン。雄大な自然と歴史に彩られた国土が、長年の紛争と気候変動による災害で荒廃した。タリバン政変以降は国際社会から取り残され、貧困と飢餓が危機的な状況にある。
「日本の子どもたちに、アフガニスタンに住む人々や、起こっている問題を知ってもらいたい。それがアフガニスタンの未来を変えると信じています」とライリさんは繰り返した。「戦争のない国にしたい。世界が平和になってほしい」
贈られたランドセルが、いつか平和の「種」になる
「戦争のない国に。世界を平和に」
そう話すライリさんのほかに、もうひとり世界平和という視座を持つ青年に会った。大学院で公共政策プログラムを研究し、ユネスコやユニセフの活動にも取り組む長澤パティ明寿さん。
彼の母校である山形県の高校では、2012年から2019年にかけてランドセルの収集が行われ、のべ1500個のランドセルをジョイセフに寄贈したという。長澤さん自身も生徒会長として活動を統括し、2年間で243個を集めた。ちょうどその時期、ジョイセフのアフガニスタン現地パートナーであり、子どもたちへのランドセル配付を担うNGO「アフガン医療連合センター」事務局長のババカルキルさんが来日し、彼の高校を訪れた。長澤さんがババカルキルさんにランドセルを手渡す場面が写真に残っている。
後日、アフガニスタンからその写真のイラストが届いた。ランドセルを受け取った子どもが、お礼の気持ちを込めて描いたという。「アスィフくんという男の子です。いつか彼に会いに行くつもりです」(長澤さん)

ランドセルを受け取った男の子から届いたお礼のイラスト(元写真も参照)。長澤さんの宝物だ
しかしアフガニスタンは危険度レベル4の「退避勧告」に該当し、渡航は難しい。ほかにも紛争や内戦、戦争状態の地域はたくさんある。ネパール人の父と日本人の母の間に生まれた長澤さんは、ネパールで過ごした乳児期に内戦状態になり、平和が失われる体験をした。それが原点となり、どうすれば世界平和を実現できるか考え続けてきたという。
長澤さんは国連で働くことをめざしている。きっかけは中学時代、ネパール地震での災害ボランティア経験と国連の防災枠組みについて考察した作文が受賞し、ニューヨークにある国連本部で研修を受けたことだ。「国連での職務や活動を直接見て、漠然としていた平和へのアクションを具体的に考え始めました」
平和につながる何かをしたい。ランドセルの寄贈に取り組む高校を選んだのもそのためだった。長澤さんによると、争いが絶えない世界で平和を求める方法には「積極的平和」と「消極的平和」がある。彼は後者のアプローチを支持しているという。
「消極的平和の中に、国連の枠組みを通した予防外交があります。対立の可能性があるグループを政治的に分析し、それぞれに働きかけて争いを予防するのです。紛争が起きてから仲介するのは難しく、社会インフラが破壊されると復興コストも膨大になる。予防が大切です」
うなずきながら聞いた。ジョイセフも「予防」を一番大切にしている。「性」の問題で健康を損なったり、人生の選択肢を失ったりする前に、それが起こらないことをめざしてきた。
妊産婦死亡、予期しない妊娠、乳児遺棄などの悲しい事件。HIV/エイズを含む性感染症、子宮頸がん、ジェンダーに基づく暴力。こうしたことは、「性」に関する知識が十分に行き渡り、医療アクセスをはじめとする環境を整備できれば、多くのケースで「予防が可能」といわれている。
実は、ランドセルを贈る活動も「予防」の観点から始まった。女の子が学校に通い、読み書きや計算を覚えれば、自分の健康や家族の命を守ることにつながる。たとえば薬の説明書や、乳幼児の栄養に関するパンフレットを読むことによって。さらに、男の子も女の子も教育を受けて視野を広げ、みんなが平等に持っている人権について学ぶことで、ジェンダーに基づく暴力や抑圧から抜け出す力がつくかもしれない。
「平和を実現していくために、武力ではなく前向きな対話を選びたい」と長澤さん。たとえ身近な相手でも、1人ひとり文化や価値観は異なる。その違いをポジティブにとらえ、対立の理由を話し合って理解を深めることで、解決方法を見つけていけるという。「教育」はそのための一歩になる。だからこそ、長澤さんは「思い出のランドセルギフト」プロジェクトに取り組んできたのだろう。
いま分断と対立が深まっていく世界で、ランドセルをアフガニスタンに届ける活動が、いっそう大きな意味を持つようになっている。
ランドセルを受け取る人も、贈る人も、新たなステージへ向かっていく
夕方になり、検品は終了した。ランドセルの旅を準備してくださったボランティアの皆さんは、協力して作業するうちに打ち解けて、あちこちに笑顔の輪があった。「来年も来ます」と帰りがけに声をかけてくださる方も多く、うれしくなる。
中学1年生のメイプルさんも、自分のランドセルと再会できたそうだ。その後メイプルさんのお母さんからいただいたメッセージを、一部抜粋してご紹介したい。
”今回、娘が4年生の時から考えていたランドセルの寄付をし、たまたま輸送前の作業に参加出来、なおかつ娘のランドセルとも再会出来たこと、その作業をあたたかく見守っていただいたボランティアの方々やスタッフの方々にとても感謝致しております。
2年間本を読んできた作者の方ともお話でき、娘にとって本当に貴重な1日になりました。後日あらためて娘に聞いたところ、貧困やジェンダーへの興味があるそうです。そして大学生の方々の活動を見て、あのような道もあるのだと知れました。これからの進路を考える際にとてもいい参考になります。素敵な学生さんとも出会えて良かったです。
アフガニスタンの子ども達へ、ランドセルを寄付することでどこかのアフガニスタンの家庭へのほんの少しでも将来への光になれるなら、娘も私も主人も本当に幸いです。有難いです。
是非、学校で楽しく勉強し、お友達をいっぱい作って下さい。宝物をたくさん作って下さい。
みなさんは希望に満ち溢れているかけがえのない命です。自分を、家族を、友達を、大事にして下さい。最後になりましたが、このような機会をいただき本当にありがとうございました。
また参加させていただきたいです。”
このメッセージを読んで、アフガニスタンの子どもたちはランドセルだけでなく、「学ぶことで幸せになってほしい」という願いを一緒に受け取るのだと思った。そして、ランドセルを贈る人や支援をする人にとっても、この活動は新たなステージへ向かう門出になっている。
「思い出のランドセルギフト」についてもっと知る
ランドセルとアフガニスタンに関するジョイセフの記事
- Author
JOICFP
ジョイセフは、すべての人びとが、セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利:SRH/R)をはじめ、自らの健康を享受し、尊厳と平等のもとに自己実現できる世界をめざします