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「出産は死と隣合わせ」 荒廃するアフガニスタンで、女性と子どもの命を守る母子保健クリニックを支援

2021.5.25

今なお終わりの見えない紛争が続くアフガニスタン。
ジョイセフは大都市ジャララバードの郊外で、年間約3万人の命と健康を守る「母子保健クリニック」を支援しています。

アフガニスタン AFGHANISTAN

古来シルクロードの要衝として、東西文化が行き交ったアフガニスタン。中東・南アジアに位置し、雄大な自然と歴史に育まれた多民族国家です。
 
しかし40年以上続く紛争、温暖化による洪水や干ばつにより、人々の暮らしは壊滅的な被害を受けました。武装勢力の支配地域が拡大する中、治安も悪化しています。
医療は深刻な状況で、特に女性は伝統的に男性医師に肌を見せられないため、診療所や病院に行くことさえ困難です。アフガニスタンの妊産婦死亡率は出生10万あたり638。日本の率の約128倍にも上ります。
 
この地でジョイセフが支援する「母子保健クリニック」。女性の医師やスタッフが常駐し、妊婦健診から分娩、乳幼児健診、病気やケガはもちろん、栄養や心配事の相談にも対応します。女性と子どもが安心して診療を受けられる、地域で唯一の施設です。
 
妊娠・出産の間隔を空けて母子の健康を守る家族計画、子どもを守る予防接種などについても、クリニックの待ち時間を利用して、女性たちにわかりやすく伝えてきました。
 
ジョイセフの長年にわたる母子保健の取り組みは、現地に確かな変化をもたらしています。
                     

(プロジェクト担当 甲斐和歌子)

女性は家に閉じ込められ、
病院にも行けなかった

アフガニスタンでは40年以上も紛争が続いています。2001年、NYの同時多発テロの後、アメリカ主導の爆撃もありました。テロの首謀者とされた武装勢力・アルカイダの幹部が潜伏していたからです。

なぜアフガニスタンにいたかといえば、彼らの支持者がいること、そしてこの土地の貧しさが原因です。生活のため、民兵となってテロリストに協力し、給料を得たい人々がいるのです。

アメリカ等の爆撃により、アルカイダを受け入れていたタリバン政権は崩壊。各国首脳やNGOが日本に集まり、2002年にアフガニスタンの復興支援国際会議が開かれました。

この会議を機に、私たちジョイセフは、現地団体の「アフガン医療連合センター(UMCA)」と協力することに。2002年から二人三脚で現地の女性支援を始めて、19年の歳月が過ぎました。

現在、ジャララバード市の郊外で、女性と子どものための「母子保健クリニック」を運営しています。今では年間約3万人に医療サービスを提供する地域医療の拠点ですが、女性たちに来てもらうのが大変だった時期もあります。

それもそのはず、タリバン政権下のアフガニスタンでは、女性は非常に抑圧されていました。家から出ることが許されず、女の子は学校も行けない。物事はすべて男性が取り仕切っていました。

当時の影響で現地には保守的な考え方が残り、タリバンの残党やテロリストもあちこちにいます。目立つ行動は命を狙われる危険もある。そんな中、女性が外出する、しかも外国が支援するクリニックへ行くというのは、たいへん勇気がいることだったのです。

「女性スタッフによる、女性のための診療」という画期的な取り組み

それでも一人、二人とクリニックを訪れる人が現れました。自分のことより、赤ちゃんが心配だからです。健康に育ってほしい、健診も予防接種も受けさせたい。母親たちは勇気を出して、子どもをクリニックに連れてきました。それをきっかけに母親たちへの診療も始まりました。

アフガニスタンの保守的な地域では、女性は家族以外の男性に肌を見せられません。男性医師では血圧も測れない、顔色もわからない。そもそもクリニックに来てくれない。そこで女性の医師とスタッフが常駐し、女性が安心して診療を受けられる体制を整えました。この取り組みが知られると、母親たちが子どもだけではなく、自分のためにもクリニックを訪れるようになりました。

ここでは分娩はもちろん、産前産後の健診、乳幼児健診など、いわゆる産婦人科と小児科の医療サービスの他、女性・子どものための内科、外科なども広く提供しています。地域で唯一の母子保健クリニックとして、下痢、感染症、やけどやケガなどにも対応。まるで江戸時代の“赤ひげ先生”のような、女性たちの「駆け込み寺」です。

女性医師による妊婦健診

女性が安心して診療を受けられるため、遠くからも人々が訪れる

子どもに予防接種を行う

家族計画など、健康に不可欠な知識も共有

診療の待ち時間を利用して、健康についての勉強もします。避妊の知識、ピルやコンドームの提供、予防接種や薬の重要性を伝えたり、マラリア予防の蚊帳を配ったり。現地で手軽に手に入る食材を使い、栄養価の高い離乳食を作って、レシピを伝えながらの試食会をすることもあります。

地元で採れる食材を使い、栄養価の高い料理の作り方を学ぶ

「フレンドリーカウンセリングコーナー」という取り組みでは、カウンセラーが守秘義務を守りながら、女性たちの相談に乗っています。気軽な会話からDVや虐待が発見でき、手立てを考えるきっかけになることも。

保守的な土地柄、女性は教育を受ける機会を奪われています。まして性教育などなく、妊娠の仕組みも知らないまま、12、13歳で結婚する少女が少なくありません。その状態で次々と出産、しかも医療が脆弱なため、母子の命は危険にさらされているのです。

適切な年齢で、間隔を空けて出産することが母子の健康に不可欠です。クリニックでは妊娠の仕組みや避妊の方法を伝え、避妊具も配付しています。医師の説明には説得力があり、女性が家族に伝えることで、少しずつ家族計画の知識も広がってきました。

子どものための通院を理由にクリニックに出向き、自分も保健医療サービスにつながる母親たちもいます。

女性を支えることが家族全体の健康を守り、意識を変え、より命が守られるように社会全体が変わっていくと思います。

顔を隠したまま、安心してカウンセリングを受けることができる

健康を守るための啓発指導に、1年間で延べ4万8728人が参加

日々刻々、悪化する状況に立ち向かう

2020年からのコロナ禍で、地域の医療は危機的な状況に見舞われました。偏見を恐れた人々はPCR検査を避け、感染が急拡大。スタッフに感染者が出た時だけ一時休診しましたが、基本的には他の医療機関が軒並み閉まっても、私たちのクリニックでは診療を続けてきました。女性たちが駆け込める地域で数少ない唯一の医療機関ですから、できるかぎり開けておきたいのです。

このクリニックは寄付で運営され、医療サービスを無償で提供しています。しかし一時、頼みの綱である寄付金が減少し、運営が困難に陥ったことがありました。サービスの縮小を余儀なくされたり、非常に苦しい時期でした。

今や地域の生命線となっている母子クリニックを守り続けたい。そのためには継続的な支援や寄付が不可欠で、あらためて広く協力を呼びかけていきたいと思います。同時に、2002年からの長い間、支援をいただいて母子保健サービスを続けてこられたこと、現地の母子医療を支えてこられたことに、深く感謝しています。

現地の治安状況は、目に見えて悪化しています。貧困は深刻化し、タリバンだけでなく、ISも力を増しています。2019年末に中村哲医師が襲撃されたのは私たちの活動地域でした。2021年5月には大規模な爆破テロが首都カブールの女子高校近くで起き、生徒をはじめ多数の死傷者が出るなど、緊張は高まる一方です。

多くの場合、武装勢力が拡大すると女性は抑圧されます。テロや紛争に巻き込まれる危険も大きくなります。その中を生きている人々に、途切れない支援が必要なのです。

危機が深刻化している今こそ、正しい情報や医療にアクセスできる「駆け込み寺」として、母子保健クリニックの活動を守り抜きたいと思っています。
 


アフガニスタンの子どもたちに贈り続けた
「思い出のランドセルギフト」 17年目の小さな奇跡

もうひとつ、私たちは2004年から「思い出のランドセルギフト」という支援を続けています。日本の子どもたちが6年間使ったランドセルを、アフガニスタンの子どもたちに届けるプロジェクトです。ランドセルの素材メーカーの声かけをきっかけに一緒に始めました。

女性の健康や人権という大切なことを伝えていきたい。クリニックでの母親教室は行っていましたが、それだけでは足りません。

そうすると、やはり女の子たちが小さい時から、学校教育を受ける必要があると考えました。彼女たちが将来、自分と家族を守るために、いろいろな知識を受け取り、学んでいけるような素地を作るためです。

そこで、アフガニスタンにランドセルを贈れば、男の子も女の子も一緒に学校へ行くきっかけになるのでは…というアイデアが生まれたのです。

正直、最初は疑心暗鬼でした。明日食べるものもない貧しさの中、ランドセルをもらったくらいで学校へ行くのだろうか。しかし実際は、私たちが驚くような変化が起きたのです。

通学用の鞄であるランドセルを受け取って、子どもたちは大変喜びました。宝物として夜も抱いて眠ったり、兄弟姉妹全員が順番に使ったり。いつしかランドセルは「子ども=学校に通う」ことのシンボルになり、学校へ行かせる家庭が増えていきました。

2021年1月までの17年間に約24万個近くのランドセルを渡しました。今では、子どもなら誰でも、ランドセルを背負って学校へ行くことが当たり前になった地域もあるほどです。

ランドセルを受け取った少女が医師に、少年が教師に

17年前にプロジェクトが始まった時、ある保守的な地域で最初のランドセルが配られました。その時ランドセルを受け取った一人の少女が、大学の医学部を2020年に卒業し、晴れて医師になったそうです。うれしい知らせにスタッフ一同、大喜びしました。

もうひとつ、2020年にISの占領から解放されて、平和が戻った地域でのことです。青空教室が開校し、集まった子どもたちにランドセルが配られました。実は、その学校で教鞭を取る先生も、やはり17年前に最初のランドセルを受け取った一人だったのです。彼は紛争が終わったふるさとへ、教師として再建に力を尽くすために戻ってきたのでした。

教師になったワヒドゥラさん(2020年)

ランドセルを受け取った時のワヒドゥラさん(2004年)

ランドセルが運ぶ希望 教育はテロと戦う最強の力になる

紛争 が続き、親兄弟をなくしたり、貧しくて家の仕事に明け暮れる子も多いのが実情です。その色彩のない殺伐とした日常に、ある日突然、日本という遠くの国からランドセルが届く。その瞬間は、私たちの想像を超えるインパクトがあるのです。

遠くの誰かが自分たちを思っている。世界には日本という国がある。世界は広くて、ずっと先までつながっている。そこへ自分もいつか行けるだろうか。

ありえないかもしれないけれど、想像の翼を広げて、新しい希望を見出す瞬間。ランドセルギフトは、そんな小さな“奇跡”を届けているのだということが、活動を続けることで私たちにもわかってきました。

これは単なる夢ではありません。ISから解放されたある村で記念式典が計画された時には、軍事パレードや祝砲ではなく、解放のシンボルとして学校の開校式が行われました。村の人々がそのように希望したからです。この地域には長年ランドセルが届けられていたので、男の子も女の子も同じように、学校に通うことが根付いていました。

テロと貧困に打ち勝つために、最強の力となるのは教育だと思います。教育を受けた子どもたちは少年兵になるリスクも低くなります。村全体の意識が高くなることで、武装勢力につけこまれる隙もなくなっていきます。

そんな手ごたえを感じながら、希望を詰め込んだランドセルを、これからも送り続けたいと思っています。


6年間愛用した、大切なランドセル。
学用品を必要としている
アフガニスタンの子どもたちへ、
思いをのせて贈ってみませんか。

ランドセルを贈る

ジョイセフ募金

アフガニスタンの母子保健クリニックは皆さまのご支援で運営されています。

ジョイセフでは、毎月継続的にジョイセフの活動を支えてくださる「ジョイセフフレンズ」を募集しています。

ジョイセフフレンズとは
世界の女性たち「フレンズ」を、毎月2,000円から継続的に支援するマンスリーサポーターです。

月額2000円を1年間支援すると、アフガニスタンの女性36人に、クリニックでの保健医療サービスを提供できます
たとえば、
  • 男性医師に肌を見せられない保守的な地域の女性のために、女性の医師とスタッフが対応する診療体制を用意できます。病気や妊娠の際に、女性が安心して受診・相談できる保健サービスにより、女性や赤ちゃんの命を守ることができます。
  • 12,13歳といった低年齢で結婚を強要され、毎年のように出産を余儀なくされている少女たちが、家族計画に関する知識を得たり、ピルやコンドームを手に入れることができます。
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