物資支援の日々と学んだこと

⼀般社団法⼈ GEN・J 代表理事
田端八重子

奈良県生まれ。 盛岡市防災会議委員、盛岡市市勢振興功労者表彰選考委員、盛岡市国民保護協議会委員など。元もりおか女性センターセンター長。
2011年の東日本大震災発災時には、もりおか女性センター長として被災女性の支援に携わった田端さん。
支援活動のこと、気づき、そして今後への思いについてお聞きしました(2021年2月インタビュー)。

 


 
東日本大震災は、岩手県の県都である盛岡市も大きく揺れました。同時に停電が起き、ライフラインが寸断。通電後、映像に映し出されるあの風光明媚な沿岸地域の光景に驚愕したことを覚えています。

その⼤惨事を⽬の当たりにした時、自分に何ができるのか、まるで理解できておらず、落ち着かない自分に焦りを感じていました。

そんな時に、ジョイセフから赤ちゃんや妊産婦用物資が届いたのです。第一便の物資の山を見て、私は「物資支援」を決意しました。

「そうか、 まずはこれを、必要としている⼈に配らなければ」と。

とはいえ、誰に何を届けるのか、皆⽬⾒当もつきません。そこで「欲しい物資を欲しい方に届ける」ことを考え、県内のマスメディアにお願いして、問い合わせ先の電話番号を発信してもらいました。

情報は瞬く間に拡がり、被災した多くの方々から必要物資の問い合わせが次々に入ります。その中でとにかく⼀⼈でも多くの方に届けたいと願い、支援活動を続けていきました。

震災直後は、多くの方々から「何かできることはありますか」と連絡をいただいていました。そこで物資の不足分の調達を、国内各種団体、NGO・NPO・民間企業などにお願いしました。

それらの物資は、送ってくださった方々の「お心を届ける」ことをミッションに、「hand to hand」・「face to face」を合言葉に配布。多くの物資が届き、それを運び出す⽇々でした。

カーナビを頼りに現地に入っても、道路が寸断されていたり迂回路もない、目印の建物や樹木がなくなっていて携帯電話で互いの位置を確認し合ってもなかなか会えないなど、焦りを感じることもありましたが、それでも発災から2週間後には、盛岡市内でも一般車にガソリンの供給が行われ、物資の受け入れや配送は、大きな混乱もなく進めることができるようになっていきます。私たちの物資支援は、5月6日まで続きました。

このような中で、大きな気づきもいただきました。

化粧品が欲しいというある業種の方からの要望が届き、さっそく国内化粧品メーカーに依頼。その化粧品メーカーから届いた荷物を開封した私は、思わず驚嘆しました。中には7品目の商品が 1⼈分ずつ個別に、ビニール袋にセットされていたのです。

現地支援をしているわれわれの手間を省くという「どんな時も相⼿の状況を想像して動くこと」、その心遣いに敬服しました。また、ボランティアは、自身の食事・水分・ガソリンなど現地での調達は、できるだけ遠慮するということ、これは災害⽀援活動の「基本のキ」であることを学ばせていただきました。

届けられた悲痛な声

東日本大震災後の5月10日からは、内閣府の事業として「東日本大震災における女性の悩み・暴力相談」が開設できました。

これは、阪神・淡路大震災の報告書に震災後女性たちへのDVや性暴力があり、当事者女性たちが大変苦しんだという記述があったことから、早々に電話相談の開設を内閣府にお願いし、実現したものです。

開設のための準備を進める中では相談員の確保が大変難しかったのですが、「東北の⼥性たちのために何かしなければ…」という思いを共有してくださった「NPO法⼈全国⼥性シェルターネット」「NPO法人日本フェミニストカウンセリング学会」の協⼒により、相談員を派遣していただき、スタートを切ることができました。

電話では、多くの女性たちの声が寄せられました。その中で見過ごせなかったのは「現⾦が底を突きそうだ」という悲痛な叫び。子どもの通学靴・衣服、⾚ちゃんの⾷事・衣類など、⼦どものものを買うお⾦がないという声でした。

震災により自身がパートで働いていた工場、また夫が勤務していた職場が同時に流され、給与が入らないというのがその理由でした。

そこでジョイセフ理事長の石井澄江さん(当時は専務理事)に、ママたちに現金の支援ができないかとの提案を試みました。ジョイセフとしては現金の支援は過去に前例がないということでしたが、結果的にその支援を形にしてくださいました。

恐らく実現までには多くのご苦労があったことと思われ、素晴らしい決断に感謝以外言葉がありません。当時は専業主婦が自分名義の金融機関の⼝座を持っていないという現実もありましたので、即刻、口座を開設する呼びかけを始めました。

復旧・復興への地元民の力、そのための支援

東日本大震災では、平坦であった沿岸に近い住宅地域のほとんどが津波の被害に遭いました。そのような状況下、仮設住宅の建設に山間部や沿岸から遠い場所が選定されたのはご存知のことと思います。しかしそこで暮らすことになった高齢者や障がい者、赤ちゃんのいる家庭や介助者などは、商店やコンビニまでかなりの距離があったため、日常の買い物に困難を極めている状況でした。

そこで、仮設住宅で暮らす方々の買い物を代行するとともに仮設暮らしでの孤独死や自死を防ぐために「買い物代行と安否確認」を組み合わせた事業が必要であると思い立ちました。

当時の女性たちの働き方は、非常勤やパートタイム、アルバイトが多く、災害が起こると即刻、解雇に結びつきます。このような過去の事例があったことから、女性たちの就労が喫緊の課題であると考えたのです。

時を同じくして募集が始まっていた厚生労働省の「緊急雇用創出事業」の委託事業を受託し、地元女性たちを「買い物代行と安否確認」事業のスタッフとして雇用、8月15日より、この事業を展開することとなりました。

なにげなく暮らしている私たちの日常は、自然災害によって一瞬にして非日常化しました。見慣れた風景、そこにあった建物、毎日歩いていた道路、目印にしていた老木など、変わり果てた地元の姿を目の当たりにし、憔悴された方々に出会あった場面は数えきれません。

しかし、いつまでもそこに留まることはできず、大きな痛手を受け止めながらも復旧・復興に立ち上がらなくてはならなかったのが震災後の現実でした。

買い物代行と安否確認事業では、普段から口にしていたものや日常的に使っていたものなどをお届けすることで、非日常化した暮らしを日常に戻すということが重要ではないかと考えました。そのことが今後の復旧・復興に不可欠な「地元の方々の力」になると思えたからです。

このように知恵を絞って活動したのは、私だけではありません。徐々に復旧・復興されていくなか、被災された方々は、地元のために懸命にアイデアを出し合い、話し合い、考え、自分たちの街づくり計画に参画しています。そこでは新たな支援の形が、きっと必要になっていくはずです。

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