2010.夏【Twitter特別企画】あなたはどこで、どのように生まれましたか?

  • イベント

2010.7.22

【結果速報】

【あなたはどこで生まれましたか?】キャンペーンは8/31をもって終了いたしました。
つぶやいて下さった方、RTして広めて下さった方、本当にありがとうございました!!
おかげさまで500を超える(※)ツイートをいただき、このキャンペーンによる寄付金額は、54,200円という結果でした。
現在、ボランティアさんが細かい結果(都道府県や生まれた施設など)を集計中です!今しばらく、お待ちください。

【アフリカの妊産婦のために、あなたのツイートで寄付ができます。】
ホワイトリボンジャパン公式サイトを運営するウーマン・エキサイトから追加支援が決定いたしました!
8/31まで、あなたが生まれてきたときのことをツイートすると、1ツイートにつき100円が、あなたの代わりにウーマン・エキサイトから寄付されます。
もちろん7/15以降、すでにツイートしてくれた方の分も寄付されます。まだツイートしてない方はぜひ、ご家族のかたに聞いてみてください!
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「あなたはどこで、どのように生まれましたか?」

病院? 助産院?どこの町?あなたのお母さんを介助してくれたのは誰?立ち会ってくれたは誰?などなど、#JOICFPを付けて、ツイートして教えてください。
もちろん、あなたが産んだときのツイートも歓迎します。

夏休み、お盆で帰省される方も多いということで、あなたがお母さんから生まれたときのことを、考えてみませんか?ぜひご家族に聞いてみてください。
私たちはみなお母さんから生まれてきました。
でも、世界では今でも、1分に1人の割合で、女性が産むことと引き換えに、命を落としています。
亡くなる99%は途上国の女性たちです。
近くに病院がない、診療所もない。自宅から30キロ離れた診療所には電気も水もない。消毒液も医薬品もない。介助する医師、助産師、看護師が居ない。
日本の私たちが想像を絶する理由で、ほとんどの女性が医師に診てもらうこともなく、手遅れで亡くなっています。
みなさんが生まれてきたときのこと、ツイートして、世界のお産の現状をジョイセフと一緒に広めてください。
ホワイトリボンは世界中の妊産婦を守るシンボル。まずは知ることから始まります。

ツイート例


0803

総投稿数:542
病院で生まれた:309
助産院で生まれた:41
自宅で生まれた(産婆さん):17
不明:173
船上:1
田んぼ:1


※ハッシュタグにカウントされていない投稿もありますので、集計結果には多少の誤差がございます。ご了承ください。

No. ツイート 都道府県 施設
1 宮崎県日向市の病院でうまれました。すごく簡単にスッコーンと生まれたうえに、最初からすごい髪の毛がもじゃもじゃ&クルクル生えていて、みんなでびっくりしたとか。 宮崎県 病院
2 北九州市で生まれました。産声が病院の外まで聞こえたそうな。50cm 4300gのBig Babyだったそうな。とてつもなく健康に育ちました。母よありがとう。 福岡県 病院
3 雪の降る日に長岡市の病院で生まれました。親類縁者が近在せず、父は仕事で不在。孤立無援のお産は軽かったけれど、母は女児だったことが相当残念だったとか。1歳の兄は自宅に一人放置され、その後1年以上もトラウマで毎日夕方になると玄関で泣いたそうです。 新潟県 病院
4 終戦3年後、長崎の病院で、母が血圧が高かったため、病院出産になったそう。首にへその緒が巻き付いて、産声を上げなかったので、医師が逆さまに振って、やっと、泣いたらしいです。途中で停電し、父が懐中電灯を持っての出産だったようです。 長崎県 病院
5 86年12月27日、東京都文京区の日立病院で生まれました。お医者様と、看護婦さん5名に囲まれて誕生いたしました。父ちゃんは分娩室の外で待機してたらしい。認知症なのに聞いたらちゃんと思い出してくれた母ちゃんに感謝。 東京都 病院
6 現在26歳の娘を産んだときは大きな病院の産科でしたが、夜間で助産師さん2人の介助で産みました。助産師さんだけだったので自然に産めて、外科的処置がないぶん後が楽でした。ただ、娘は2800gと小さめだったので楽だったのかも。東京で産みました。 東京都 病院
7 17年前8月27日は台風が日本を直撃!丸ノ内線が浸水しました。そんな嵐の中、13時間かかって生まれた長男。大雨の中、病院に来てくれた義母。この家に嫁いで本当に良かったと実感しました。 東京都 病院
8 私は、千葉県市原市の病院で、帝王切開で生まれました。祖父母と父が立ち会ってくれたのですが、焦ってイライラした父と祖母がけんかを始めてしまったそうです。切迫流産もあり、無事に生まれるか心配されていた私。お腹がすいてミルクを飲みたくて、元気な声で鳴いたと聞きました。 千葉県 病院
9 小2の娘は、大宮の日赤病院で生まれました。3328グラム。嫁さんが切迫早産で絶対安静、24時間点滴状態を3カ月間耐えた後での出産。立ち会い出産でした。 命の誕生。心が震えた。何よりも嫁さんがよく頑張った。途上国なら生まれなかったかもしれない命、かけがえがない。 埼玉県 病院
10 京都市立病院で3度目の帝王切開の末に生まれました。1度目は未熟児で早すぎて逝ってしまい2度目も未熟児で保育器の中の小さい手が忘れられない、が兄の事。お腹を切るのが3度目だから命に関わる危険もあるのを承知で生んでくれたのが私。母から幾度と無く聞かせて貰った話。 京都府 病院
11 竹鼻の産婦人科で生まれました。雪が降り積もる日で、母親は夕飯を食べた直後に僕を出産したそうです。直ぐ近くで喫茶店を営んでいた母方の祖母が様子を見にきてくれたそうです。昭和46年の冬の出来事。 岐阜県 病院
12 12月1日19時24分、川崎市にある病院で生まれました。体重3438グラム、身長49センチの赤ちゃんでした。母子健康手帳をみてみると、記録がいろいろと訂正してある。母親いわく、「ほかの赤ちゃんと間違えていたみたい」。性別も「女」のところに丸がしてあった形跡が。。。 神奈川県 病院
13 私はアメリカ・ロスの病院で生まれました。夜中に産気づいた母を、仕事から戻った父が車で病院へ。ずっとお医者様からBOYだと言われていた私、生まれたらGIRLだった…(お医者様は恥ずかしくて父に報告に行けなかったとか…笑)母と私は翌日退院。無事産んでくれてありがとう! 海外 病院
14 名古屋市昭和区の聖隷病院 生後まもなく風邪をひき生死をさまよった。両親は医師から覚悟してくださいと言われたらしい。。@NGO_JOICFP 「あなたはどこで生まれましたか?」 愛知県 病院
15 体育の日、埼玉県の産院で生まれた。2720g。難産だったみたいです。去年、結婚してこどもはまだだけど、命のバトンは繋げたい。 埼玉県 助産院
16 大阪府の個人産院でうまれました。超安産だったのですが、「初産だから時間がかかる」と思った医師はテニスに出かけていて、助産師さん達が「いざとなったら私達だけで取り上げましょう!」と相談するのを聞き、母は「勘弁して!」と思ったそうなw医師は何とか間に合ったそうです。 大阪府 助産院
17 1971年12月25日午前1時18分クリスマスに母の実家の奈良にて、田舎の産婆さんで生まれました。生まれた時、既に4200g以上もあり、オカンもビックリ! 奈良県 自宅
18 本来はサウジアラビアで産まれる予定だったのですが、難産で当時のサウジアラビアの医療技術では手に負えないということで、フランスに送られました。ですから、パリ生まれ。 海外

なぜ、みなさんの誕生にまつわるエピソードを募集するのか。

「なぜ、こんなツイート企画を?」という問い合わせがありましたので、お答えしますね。
上記の説明でも少し、触れましたが、「あなたはどこで、どのように生まれましたか?」 この企画を始めたジョイセフの目的は、まずは、自分がどこで生まれたのか、病院?助産院?どこの町なのか?あなたのお母さんを介助してくれたのは誰?立ち会ってくれたのは誰?など、自分が誕生した時のことを知って、途上国での出産と比較していただきたかったからです。
病院がない、医者がいない、助産師がいない、電気もない、水道もない、知識もない、何もないところで、出産をする途上国の女性たち。
日本では想像しがたい理由で、出産が原因で命を落としています。
たまたま生まれた場所が異なるだけで、亡くなる原因も平均寿命も違うことをも知っていただきたかったのです。
(たとえば、ザンビア共和国の妊産婦の現状や、タンザニアで母親となる人たちの声を知っていただきたいです。)
世界中の妊産婦を守るホワイトリボンの活動は、まずは、この現状を知ることから始まると考えています。
以上が、この企画の目的です。ですから改めてお願いいたします。ぜひ、ホワイトリボンの輪を広げるためにご参加ください。

※今回、皆さまより集められたツイートは、次のような形で公開させていただきます。
●WEBサイト ・ メールマガジン ・ 掲載要望のあった媒体(ジョイセフ広報グループにて審査の後)での公開