母子健康手帳70周年 (その2)

2012年7月6日

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先日、今年が母子健康手帳の70周年であるとコラムを書きましたが、今日は、その続きを書きたいと思います。
70年前の昭和17年(1942年)と言えば、まさに戦時下です。
母子健康手帳の前身である「妊産婦手帳」は、当時ドイツへ派遣された瀬木三雄氏(戦後、初代の厚生省母子衛生課長、故人)が、ドイツで妊産婦の健康推進のために使われていた「ムッター・パス」を日本に紹介、応用したものです。
当時、日本の妊産婦のおかれていた状況は、栄養状態も悪く、定期的な健康診査も行われておらず、出産は自宅に「産婆」を呼んで行うというのが最も一般的でした。妊産婦手帳を取り入れた当時の日本は戦時下で、「富国強兵」の一環として、「健康な妊婦から健康な赤ちゃんを」という強い指導が時の政府からあったことが導入のきっかけであったことは時代背景としてありました。
瀬木博士のグループは、この手帳と「妊娠届出制」を制度化し、妊娠の早期の段階から、妊産婦の行政による把握を奨励しました。また戦時下の「配給制度」もすでに始まっており、妊産婦へのインセンティブ(優遇措置)も考慮されました。たとえば米や牛乳、砂糖等の食料品や脱脂綿、腹帯用の木綿などを妊産婦に優先配給し、栄養面などでの強化を図るばかりでなく、それが手帳の普及にも功を奏したと言えます。定期的な妊婦健診は、疾病等の早期発見・早期治療にも効果を発揮しました。妊娠高血圧症(妊娠中毒症)や性感染症の発見もその対象となっていました。戦時下の社会情勢下ではありましたが、日本の母子保健の向上にとっては、重要な役割を果たした手帳制度であったと評価できます。
ジョイセフでは、発足当初(1968年)から実施している開発途上国向けの家族計画・母子保健分野の研修会などにおいて紹介するために、厚生省母子衛生課(当時)の監修を受けて英訳し、活用してきました。
日本の戦後の母子保健の発展に寄与した母子健康手帳制度の役割は大きく、そのことに着目した多くの国々が、この制度を現在も熱心に学んでいます。日本の母子保健のさまざまな経験が開発途上国の母子保健の向上に役に立つことを祈るとともに、70年の歴史をもつ母子健康手帳制度をジョイセフとしても、今後も世界に紹介していくつもりです。
(2012年7月、東京にて)

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