戦後70年:平和を守る想像力を育む

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2015.6.19

戦後70年を経て、戦後生まれの人口が8割を超える時代になりました。
現在、戦争を体験した人々が極端に少なくなり、戦争の悲惨さや戦争による悲劇を語ることのできる人々が著しく減少しています。戦争を知らない世代が増えることにより、平和を守る「想像力」を失ってしまっている人々が増えているのではないでしょうか。
何かを批判するということは、そのことを熟知していて初めてできることです。批判する力を失った人々が過半数を超えた時、社会全体が過半数の論理に流されて判断を間違うこともあるのではないかと懸念されます。
「戦争のむごたらしさ」「戦争の悲しさ」「戦争のむなしさ」を知らない世代は、逆からみると、正しい判断力を持ち合わせていないことになります。ましてや身近な肉親を失った方々の世代も高齢化が進み、自己体験や身内の体験さえも伝承できていません。そして、そんな隙間に入ってくるのが無批判な同調現象なのです。適切な判断ができない人々は、いわゆる「ヘイトスピーチ」によって、翻弄される人々になる可能性が大きいのです。
いま、平和を守る、もっと積極的に平和を創るための想像力が極端に弱まっている日本人が増えていると思うのは私だけではないはずです。想像力が世界観をつくると言われます。悲しいかな、自分の想像力を超える扇動や誘導が行われたとすると、無批判に信じてしまうのが人間の心理のようです。この場合、その時々の政治によって煽動されることも起こり得るのです。
平和を考えるには、常に平和を深く考える理念や哲学を持つことが必要だと思います。それは、自らがどんな平和社会や国家を心に思い描くのか、そこにかかっています。何をすべきか、どのようにすべきか、私たちは常日頃から選択肢をもっています。しかし、理想の社会がどうあるべきかを考えるには、相当の想像力がいるものなのです。
では、想像力はどのように鍛えることができるでしょうか。それは、今自分のいる足元やその場を見るのではなく、まずは、今よりも一歩先を見通す力が必要なのです。虫の眼で見ることだけでなく、鳥の眼で見ることが必要なのではないでしょうか。
戦後70年を迎える今年、平和な社会や世界を想像する力が不足しているように思えてならないのです。日本社会が「右傾化」しているなどの話題もさることながら、極論すると、それがどういうことかさえも考える力を人々は失っているのではないかと思うからです。あまりにも、日本は長く平和であったことで、真の平和を想像することも、平和をとりもどすなどということも必要なく、なんらのアクションを取らなくてもそこにすでに常に平和があるかのごとくに思ってしまっているからなのではないでしょうか。平和は空気のごとくそこにあると思っているのではないでしょうか。
しかし、こんな時に人々の心の隙間に入ってくるのが、ある意図を持った政治の力なのです。政治は人心を操作し得る力を持っています。それがさらに多数決であれば、なおさら力を増します。政治は人々を間違った方向に導くことさえも容易なのです。なぜならば、国民一人ひとりが、想像力を失っているタイミングには、人為的な操作が入り易いのです。
戦後70年、私たちは、今一度、平和とは何か、最大限の想像力を駆使して考えてみなければなりません。人に惑わされるのではなく、ましてや、短絡的に「叩かれたら叩き返す」という考え方で維持する平和であってはなりません、平和を「創る」努力が必要なのですこの機会に深く考えることをあらためて訴えます。
私は、想像力こそが世界を守る力、平和を創る力であると強く信じています。
(2015年6月、東京にて)