母子健康手帳とジョイセフ

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2016.8.24

家族計画・母子保健分野の日本の経験が海外で注目:
ジョイセフのセミナー事業開始

ジョイセフは1968年4月の発足時から、開発途上国の家族計画・母子保健の担い手である行政官、医務官、NGOの責任者などを対象にした人材育成や研修事業が活動の大きな柱となっていました。当時の海外技術協力事業団(OTCA、現在の国際協力機構(JICA)の前身)の委託を受けて、まずはアジア諸国の指導者に対する「家族計画指導者セミナー」が実施されました(本セミナーの開始時の1967年は、日本家族計画連盟が委託を受けていましたが、翌年ジョイセフ発足に伴い委託先となりました)。

多くのアジア諸国では急増する人口を抱えており、人口増加率を抑制する事業が重要視されていました。しかし、日本では、乳児死亡率や妊産婦死亡率の改善を通して人口増加率が減少した経験を持っており、保健の向上が、結果として人口増加率の減少につながることが分かってきていました。振り返れば、人口増加の抑制を目的にした国家政策を実施した多くの国々で人口抑制のための直接的なアプローチが住民の反感と反発を招きました。そのため母子保健を切り口とする住民の保健向上のアプローチが受け入れられ、次第に理解されてきたと思います。

日本の実践的経験を学びにやってきたアジアの指導者たちは、比較的短い期間に家族計画を全国に普及させた成功事例と、少産少死を達成した日本の経験(行政によるシステムづくりや地域における住民参加)によって醸成されていた家族計画・母子保健活動の成果に大きな関心を寄せました。日本の経験や中央および地方の母子保健システムを学びたいという機運が高まっていたのです。

セミナーの実施に当たりジョイセフは、古屋(こや)芳雄(初代ジョイセフ理事長、国立公衆衛生院院長を歴任)を議長にしたセミナー実施運営委員会を作り、開発途上国のニーズに合わせたカリキュラムづくりを行いました。その中に、母子保健サービスにおける「ツール」として日本で開発された「母子健康手帳」が大きな役割を担っていることに注目し母子保健専門家による関連のセッションが持たれました。

当時、アジア諸国では、妊産婦の健康は行政のみが把握しており、医師や準医療従事者の診察のカルテがあっても保健所に保管しておくというのが一般的でした。よって母親の手元には何の情報もありませんでした。一方、日本の母子健康手帳は母親が手元に大切に置いておくもので、妊娠の届出の時点から行政が妊婦を把握でき、産前健診から出産、産後健診、新生児・乳幼児の発育への支援も可能で、また、母親が国内のどこに移動しても、自分自身と子どもの健康情報を保持し関心を持ち続けることができるのです。その一貫性が母子保健の向上につながるというユニークな点が注目され関心が集まったのです。また、手帳の有用性を高めるために無料の健診態勢を行政が作ることや、関連の情報や啓発活動も合わせて行われてきていることが、さらなる関心を集めました。

母子健康手帳:ジョイセフが初めての英語版を作成

当時、母子健康手帳の「産みの親」ともいえる、厚生省の初代母子衛生課長を務めた瀬木三雄先生が厚生省退官後、名古屋で瀬木学園研究所を拠点に研究活動をされていました。幸運なことにジョイセフは、瀬木先生から「ムッターパス(ドイツで使われていた母親手帳)をもとにして1942年に考案された妊産婦手帳、そして戦後の母子手帳、母子健康手帳の経緯、発展、そしてその効果・成果について」直接指導を受けることができました。また、東京では、当時の瀬木母子衛生課長のもとで産婦人科医の技官として家族計画母子保健行政を担っていた村松稔先生(セミナー当時は、国立公衆衛生院衛生人口学部に所属)がジョイセフのセミナーの講師(後にコースリーダー)を務めていた経緯もあり、手帳の英語版が村松先生の監修のもとに、重要な教材のひとつとして作成され活用されていました。しかし、母子健康手帳は、単に翻訳すれば開発途上国で活用できるというものではありません。サービスと手帳は表裏一体で、手帳のみ作成してもサービスの内容や質が改善され提供されなければ意味がないという課題がありました。

母子健康手帳の英訳版の国外への広がりと国内での関心と需要の高まり

それまでは資料としてコピーを配付したものを、英語版母子健康手帳として、1983年3月に、母子衛生課(後の母子保健課)の監修も得て、課長の巻頭言も入れて、印刷物として発行されたことが、英語版母子健康手帳の始まりでした。その後、本体の母子健康手帳の改訂に伴い、その都度、母子保健課の監修を受けて版を重ねてきました。この英語版手帳から、監修は松山榮吉先生(当時東京厚生年金病院産婦人科部長)が第5版(1999年8月)まで務めました。

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    英語版母子健康手帳(初版(1983年3月)から第5版(1999年8月)まで)
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    母子健康手帳が扱われたジョイセフ・ドキュメンタリーシリーズ冊子(左が1984年発行、右が1986年発行)

1980年代には、新たな需要が出てきました。それは、日本人が海外に長期出張し滞在する折に、母子健康手帳の英語版を持っていきたいという要望でした。そこでジョイセフから定期的に改訂し要望に応じて頒布することになりました。当時の母子保健課から、母子健康手帳には通常の出版物のような版権はなく、不特定多数に活用してもらうことが重要であるという見解が示され、幾つかの国の言葉に翻訳することが自由にできるようになりました。これが今、母子健康手帳が国際的な注目を集めることにつながったのではないでしょうか。初めて英訳をしたジョイセフとしては、現在の世界的な拡大は大変うれしく誇りに思っています。

1980年代に入り、厚生年金病院の産婦人科部長であったの松山榮吉先生や三井記念病院産婦人科医長の本多洋先生が、母子健康手帳を海外で紹介するという機会が増えてきました。もちろん当初開発途上国を視野に入れて行ったこの普及活動が、先進国(米国やカナダ等)でも注目を集めたことは、当時ジョイセフとしても驚きとともに大変な喜びでした。この手帳からヒントを得て、それぞれの国の実情やサービスの可能性を踏まえたうえで、手帳が活用されていきました。米国やカナダなどで積極的に母子健康手帳の活用が行われて今日に至っています。このあたりのことはジョイセフ・ドキュメンタリーシリーズでも紹介されています(Documentary Series 10, ”Maternal and Child Health Handbook and Its Background”, 1984 by Eikichi Matsuyama and Hiroshi Honda,(絶版);Documentary Series 18, “Saving The Children-How Japan Keeps Down the Infant Mortality Rate”, 1986, Eikichi Matsuyama、ジョイセフのホームページのショップで頒布中)

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    米国ユタ州で開発された手帳(1990年5月版)
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    各国で当時開発された母子健康手帳。国の実情に合わせた内容となっています。

一方、日本においては、居住する外国人や日本人と結婚して出産を控えた人たちからの需要も高まり、ジョイセフの姉妹団体である社団法人日本家族計画協会が英語版を基礎にして、日本語、英語および他の外国語(ポルトガル語、タガログ語、中国語、韓国語)が併記されたものが広く出版頒布され活用され始めました。また、1990年代に入ると各自治体(東京都をはじめとして)では、住民のために各国語版を独自に作成し、無償で配付するようにもなり、広がっていきました。

1997年からは「健やか親子21」の一環で、母子保健事業が原則として市町村に委譲され、母子健康手帳の配付も同様に市町村で行われることになりました。

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    母子健康手帳各国語翻訳版(日本語、英語、ポルトガル語、タガログ語の4カ国併記、1996年6月第1版発行、社団法人日本家族計画協会(現在、一般社団法人日本家族計画協会)。4カ国語版母子健康手帳に中国語・韓国語が追加され6カ国語版になったのは2008年7月15日発行の第10版からです。最新版は2016年4月1日発行の第13版です。(写真左から初版、第2版、第13版)
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    1990年代に入り、地方自治体が各国語版の手帳を発行配布しています(写真は東京都の発行した手帳、英語、中国語、韓国語版、日本語と併記)

その後の広がり―保健システムの強化を支える手帳の役割

現在日本の母子保健の技術協力の一環として母子健康手帳が注目され母子保健の向上に貢献していることは素晴らしいことです。それぞれの国の保健システムに合わせて、新たにオーナーシップを持って、国民のニーズに応えながら、その国の独自の手帳に仕上げていき普及していくという姿勢によって、さらに多くの国々に広まることでしょう。日本の手帳の歴史でも、最初から現在の手帳があったのではなく、時代のニーズに合わせて発展してきていることを忘れてはなりません。

母子健康手帳は、「コミュニケーション・ツール」であると言われます。母親や新生児と保健施設や行政のコミュニケーションを促進し、母子の健康状態を母親自らが把握し、能動的な情報ツールとして、活用している日本の現状は、長い期間をかけて多くの関係者の知恵と努力の蓄積によってなし得たのだと思います。妊娠の段階から母子の健康状況を把握できることが、どれほど母子保健の向上に大きな効果を及ぼしているか、日本の70年以上の歩みを見れば分かるように、母子健康手帳は、国の保健システムと連動し、支える重要な役割を果たす可能性を持っています。

母子手帳国際会議開催:期待される日本のリーダーシップ

来る11月23日~25日に、第10回母子手帳国際会議(The 10th International Conference on MCH Handbook)が東京で開催される予定です。ジョイセフは後援団体の一員として協力しています。この会議の趣旨は、世界の国々が妊産婦の健康の改善や新生児・乳幼児の保健の向上や関連の疾病率や死亡率の低減のための取り組みの確認と具体的な行動計画の立案であると考えています。会議では、国際協力や国際協調が改めて確認される絶好の機会となると思っています。

妊産婦死亡率や乳幼児死亡率の削減を含めた、国際的な母子保健向上のためにも、日本がさらなるリーダーシップをとることを強く望むものです。

(*ここでご紹介した瀬木三雄・古屋芳雄・村松稔・松山榮吉・本多洋の各先生はすでに故人です)

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    1998年の母子手帳国際シンポジウムのスピーカー集合写真(1998年12月12日、於東京大学山上会館)
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    現在の日本の母子健康手帳。持ち運びを考えたサイズ(10.4センチ×14.7センチ)になっています。現在では総ページ数が100ページ前後です。

ジョイセフ 常務理事 鈴木良一、2016年8月、東京にて

母子健康手帳関連略史

年(西暦) 出来事 備考
1942 7月に妊産婦手帳規程が施行され、「妊産婦手帳」の配付が開始された。妊娠からの妊産婦の把握が可能となった。
(手帳の原点は、ドイツの「ムッターパス」(母親手帳)を参考にして作成、瀬木三雄(戦後1947年に児童局のもとに母子衛生課が設置され初代課長に就任)が中心となって作成された)
普及のため食糧(米など)や妊産婦、乳幼児の必需品(サラシ、脱脂綿など)の引替切符をつけたためさらに普及した。当時の手帳は全8ページ
1948 1947年児童福祉法制定により、妊産婦手帳から「母子手帳」に改名し、母と子を一体とした保健指導に活用するようになる
1965 母子保健法の施行に伴い、母子手帳が「母子健康手帳」(全24ページ)に改名された。その後手帳は、母子保健サービスの向上に合わせて改訂されていく ページ数はその後増え、市町村によっても違うが、現在は100ページ前後のものもある
1967 日本の政府開発援助(ODA)の一環で、母子保健家族計画分野の開発途上国への技術移転のため、「家族計画指導者セミナー」が始まる。社団法人日本家族計画連盟が海外技術協力事業団(OTCAのちのJICA)から受託 日本の母子保健の経験の中に母子健康手帳の果たした役割が途上国からも注目される
1968 セミナー受託が日本家族計画連盟から、4月に発足したジョイセフに委譲される。その後今日に至るまでジョイセフがセミナーの実施団体となる。セミナー教材として「母子健康手帳」の英訳し活用される(監修・村松稔国立公衆衛生院衛生人口学部) この時点では、冊子としてではなくプリントとして配付
1983 英語版母子健康手帳初版の発行(松山榮吉厚生年金病院産婦人科部長監修、厚生省児童家庭局母子保健課長巻頭言) 1999年第5版までジョイセフが発行
1984 「MCH Handbook and Its Background(母子健康手帳とその背景)(ジョイセフドキュメンタリーシリーズNo.10、英語版)がジョイセフから発行、国際会議などで配付され、母子健康手帳の国際的理解を深めることに貢献した 松山榮吉・本多洋監修
1986 「Saving The Children – How Japan Keeps Down the Infant Mortality Rate (子どもの命を救うために―日本の乳児死亡率がいかに低減されたか)」(同上No.18、英語版)発行、国際的に配布され反響を呼ぶ
1990 米国ユタ州で日本の母子健康手帳をヒントにした手帳が発行される 他の先進国からも注目を集める
1990年代 地方自治体でも各国語の手帳が独自に発行されるようになる(海外からの住民へのサービスの一環) 日本に住む外国人のため、また海外の日本人のための必要性が高まる
1990年代~現在 JICAなどの支援を得て母子健康手帳の各国での導入が始まる(インドネシア、タイ、メキシコ、ネパール、グアテマラ、中国、ベトナム、パレスチナ、アフガニスタン、タジキスタンなど)
1996 社団法人日本家族計画協会が各国語翻訳版(4カ国併記:日本語、英語、ポルトガル語、タガログ語)を発行
1998 「第1回母子手帳国際シンポジウム」(母子手帳国際シンポジウム事務局主催)東京で厚生省の研究委託費を得て開催された。多くの開発途上国における母子手帳プロジェクトが実施され、それらの経験知が蓄積されてきて、今日まで継続的に実施 このシンポジウムでジョイセフはグアテマラ、ネパール、中国などの活動を紹介
2008 1996年日本家族計画協会発行の上記4カ国版に、中国語、韓国語が併記され6カ国版となった。ニーズに合わせて、他の母子保健関連団体でも英語版その他が発行される
2016 11月に第10回母子手帳国際会議が、国際母子手帳委員会等の主催にて東京で開催予定 ジョイセフは後援団体

*組織名は当時の名称で記載しています。(作成責任 鈴木良一)