國井長次郎生誕100年

  • インタビュー&ストーリー

2016.11.18

2016年11月24日は、ジョイセフ創立の中心メンバーであった國井長次郎の生誕100年にあたります。
そこで今、國井長次郎の「志」を少しでも共有できればと思います。

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世界の家族計画や母子保健の事情は大きく変化

1994年9月にエジプト・カイロで開催された国際人口開発会議(ICPD)で、初めてリプロダクティブヘルス/ライツ(RH/R)が盛り込まれた行動計画が採択されたことを見届けた当時77歳の國井の喜びようは尋常ではありませんでした。「個人の意思で決定できる」家族計画を標榜してきた國井からすれば、人口を「数」で見るのではなく、また、家族計画を「人口増加抑制」の手段として使うのではなく、「一人ひとりの健康や基本的人権の視点に立って考える」という、女性の自己決定権を基本とする行動計画の採択は、長年待ち望んでいたことだったからです。それが1994年になって初めて179カ国が参加した国連主催の政府間会議で認められたのです。

1954年から日本で、個人の基本的人権としての家族計画を標榜し推進してきた國井からすれば、自らが国内的また国際的に牽引してきた家族計画運動が40年目にして、国際社会で認められたことになったのです。その時、そばにいた、同じく「日本の家族計画の母」として人々の敬意を集める加藤シヅエ(当時ジョイセフ副会長)にとっても、自身の運動から約80年。加藤が國井に向かって「時間がかかりましたね、國井さん」と声をかけたのを今でもはっきり覚えています。

残念ながら、世界では、セクシュアル・リプロダクティブヘルス/ライツ(SRHR)の課題は依然として山積しています。2016年から始まった持続可能な開発目標(SDGs)の目標3「あらゆる年齢の全ての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」と、目標5「ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の能力強化を行う」のターゲットの中にSRHRが明記され、2030年までの人類共通の開発目標となりました。

國井の言葉にこのようなものがあります。「大事なのは志である。これはどうしてもやりぬかねばならぬ執念である。その志や執念が、民衆が必要としているものなら時間がかかっても成功するものだ」。

パイオニアの遺志を引き継ぎ、私たちがさらなる努力と挑戦を続けなければならないという自覚と信念を、今、新たにしています。

(ジョイセフ常務理事・鈴木良一、2016年11月、東京にて)