ひとジョイセフと一緒に、世界を変えていくひと

【 私とSRHR 】 愛ある「ツッコミ」で社会を変えたい。谷口真由美、ジョイセフとともにSRHRを掲げて走り出す

法学者/ジョイセフ理事

谷口 真由美

2025.10.21

社会の矛盾や、不当に扱われる人々を放っておけない。「大阪のおばちゃん」こと谷口真由美さんは、こうした現実に「愛あるツッコミ」を入れ、みんなが関心を持ち、真剣に考える場をつくり出し、「全日本おばちゃん党」などを主宰してきました。
 
日本ラグビーフットボール協会理事や大学教員を歴任、大阪府知事選に出馬し、メディア出演など多方面で活躍する谷口さん。その根幹にあるのは法学者としての知見と情熱です。女性の権利や、SRHR(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ:性と生殖に関する健康と権利)の研究における第一人者であり、ジョイセフとも力を合わせて問題提起や認知普及に取り組んできた谷口さんが、このたび、ジョイセフの理事に加わりました。
 
SRHRは、一人ひとりの性やからだ、生き方を守る大切な権利であるにもかかわらず、その存在すら広く知られていません。谷口さんはジョイセフの理事となって、SRHRをもっと身近に、もっと「みんなの自分事」として、ユーモアと熱意で届けるために走り出します。

谷口真由美 プロフィール
法学者。専門はリプロダクティブ・ヘルス/ライツ、女性の人権、国際人権法、ジェンダー法、など。

 


 
目次

  1. ラグビー場で育った少女時代。マッチョ選手にかこまれ、お風呂もトイレも自由に行けず
  2. セクハラに慣れ、セクハラを返して「男社会を生き抜く」ことのおかしさ
  3. 先輩女性たちから「情熱のバトン」を受け取り、SRHR研究の道へ
  4. 「わきまえないオンナ」で上等! 『おっさんの掟』を世に問う
  5. 「SRHR」と聞いてもピンとこない。「自分事」になった瞬間、人は動きだす
  6. ミモザを贈るより、燃やしてSRHRを照らす松明に。聖火ランナーのごとく走る!

 


 

ラグビー場で育った少女時代。マッチョな男性に囲まれ、お風呂もトイレも自由に行けず

「私、ラグビー場で育ったんです」
そう言うと、だいたいの人は「え?」って顔になります。うちは父が近鉄ラグビー部(現 花園近鉄ライナーズ)のコーチで、母も同時に寮母になったので、花園ラグビー場のメインスタンド内にある合宿所で、小1(1981年)から高1(1991年)まで暮らしていたんですよ。調べたところ、ラグビー場育ちのオンナは世界で私ひとりらしいです。

マッチョなラグビー選手が2-30人くらい生活する合宿所で、トイレもお風呂も共用でした。だから自然にトイレを我慢するようになって、子ども時代から膀胱炎になりまくりで、入院したりもしました。「トイレに行きたいけど、行かれへん!」なんて、笑い話みたいでしょ? でもね、今、笑いながら思うんです。「これ、大変な状況では、我慢するのが当たり前って刷り込まれる構造やん」って。

「笑い」って、こんなふうに、考えるために役立つんですよ。人は笑ったとき、心の壁がスッと下がります。その隙間に、ちょっとだけ「考えるきっかけ」を置くのがコツです。これって、みんなに何かを伝えるとき、それについて考えてほしいときに、私がしていることなんです。

笑って理解したことは覚えているけど、しかめ面で頑張って覚えたことは、案外忘れてしまいます。みなさんも学生時代の授業とか、先生が変なこと言うて大笑いしたとこだけ覚えてませんか? 私はSRHRの研究をやってきて感じるんですけど、SRHRもね、やっぱりそんな感じで笑いながら身近に考えられるようにお話できたらええなと思うんですよ。

セクハラに慣れ、セクハラを返して「男社会を生き抜く」ことのおかしさ

ラグビー場に住んだのは6歳から16歳まで。「男社会」のど真ん中で暮らしていました。「おっぱい大きくなったなぁ」なんて、一緒に暮らしている選手のおにいちゃんたちに言われるのは日常茶飯事だったし、なんなら触られたりするし、一緒に暮らしている選手のおにいちゃんたちだけでなく、試合のときだけ来る他のチームの皆さんも、老いも若きもすっぽんぽんの裸で歩いてたりしてました。誰も乙女が住んでるとは思ってなかったと思うんですが、すっぽんぽんを見て「きゃっ」とかも、そのうちならないようになりました。そういう場所なんだって。ついでに、キモイことには「はぁ?キモイねん」と返すこともできるようになりました。

そういう意味で、たぶん私のセクハラ耐性は日本一やと思います。

若い頃は、居酒屋で知らないおじさんにセクハラを言われたら、さらに上乗せしたセクハラでやり返すくらいのことをやってました。特に、私ではなく友人がやられてるときなんかは、セクハラおじさんが泣きそうになったり、逃げそうになるところまで追い込んでました。でも、あるときにセクハラおじさんに「もうやめて。ごめんなさい。キツイ」と真顔でいわれて、「あんたが言うてきたんやんか!」というやり取りをしたのですが、はたと「なんかおかしいな?」と気づいたんですよね。

セクハラ自体があかんことなのに、なんで私まで「目には目を~」のハンムラビ法典みたいなことしてんねんと。これではいかんな、どうやったら相手が「セクハラはあかんな」ということを、ちょっとおもろいなと思いながら、ちゃんと腹落ちするんかなと考えるようになりました。セクハラ耐性なんて、誰もつかなくていいんですよ。セクハラがなくなったらいいだけなんです。

先輩女性たちから「情熱のバトン」を受け継ぎ、SRHR研究の道へ

1995年は私にとって忘れられない年で、阪神淡路大震災と第4回世界女性会議(北京会議)がありました。女性の人権問題が見えてくる中で、大学3年生になった私は、卒論テーマを最初、「選択的夫婦別姓」にしようと思ったんです。でも、私の師匠で女性差別撤廃条約を研究していた小寺初世子(さよこ)先生が「選択的夫婦別姓なんてすぐ実現するから、研究テーマにするなんてやめときなさい」と言うわけですよ。たしかに当時は、女性の地位が向上していきそうな機運を感じる時代でした。95年に北京行動計画・北京行動綱領ではじめてジェンダーという言葉が国際文書に登場して、97年に優生保護法が母体保護法になり、99年に男女共同参画社会基本法ができ、社会が変わっていく期待感がありました。

でも、あれから30年経ったけど、まだまだです。私はこの前、小寺先生のお墓の前でぼやきました。「先生、選択的夫婦別姓、まだなんですけど!」って。女性をとりまく現実も、100年後の人が現代(いま)を見たら、「明治時代とほとんど変わってないやん」と思うはずですよ。日本国憲法ができても、家庭のなかや、親密圏のなかは、大日本帝国憲法当時と変わってないことがたくさんあります。

そんなこんなで話を戻すと、卒論テーマに悩んでいた30年前、新聞で「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」という言葉を見つけたんです。SRHRに続いていく概念ですね。何やこれ? と思いました。調べようにも当時のインターネットは原始時代だし、『現代用語の基礎知識』にも載ってない。小寺先生に「これやってみたいです」と言ったら、今度は「こんな難しいものを?まだ誰も扱ってないわよ」と呆れられました。まあ、やってみたらいいんじゃないということで、リプロで卒論を書き、以来ずっとこのテーマに関わってきました。

それから大学院で日本国憲法、国際法、国際人権法を学んで、専門は女性差別撤廃条約になりました。国連で働きたいと思いましたが、小寺先生が亡くなる前、私の手を握りながら「(研究者として)あとを継いでほしい」と言ってくださったんです。

小寺先生が亡くなられる直前、南アフリカ共和国へJICAのインターンとしてHIV/エイズの調査に2カ月以上行く予定があって、先生の容体が心配で中止するか迷いました。でも、周りの女性の先輩たちが「先生が亡くなるのを待つような真似はしたらダメ。あなたが戻ってくるまでに、先生もご回復されるかもしれないんだから」と背中を押してくれて、思いきって出発しました。小寺先生の病室にお連れした、福田雅子さん(元NHK)、竹中恵美子さん、有馬真喜子さん、鳥井淳子さん、山下泰子さん、林陽子さん(ジョイセフ理事)などには、そのときにご相談にのっていただいたことを、昨日のことのように思い出します。

その間に先生は旅立たれましたが、教え子の私のことを「女性研究者も南アフリカに行けるようになったのよ」と周囲に自慢していたそうです。あの時の女性同士で連帯し支え合う「シスターフッド」は一生忘れません。
博士号を取ってからも、私はずっとそのシスターフッドに守られ育てられてきました。蚕(カイコ)みたいに大事に包まれていた感じ。孵化することを助けてもらったというか。だからこそ、次は私が、その温かい糸を次の世代のために紡いでいく番やと思っています。先輩たちから受け取ったバトンを次に渡すまで、全力で走っていきます。

「わきまえないオンナ」で上等! 著書『おっさんの掟』を世に問う

小寺先生の遺言でもあったので、学者として母校に15年ほど勤めた後、いろいろおもうところがあって、2019年に常勤職をやめました。ちょうどその年に、日本ラグビーフットボール協会の理事になりました。ラグビー新リーグ「リーグワン」発足に向けて、法人準備室長と審査委員長を務めました。当時、ラグビー協会の女性理事について、森喜朗さんの「わきまえないオンナ」発言が話題になりましたが、その代表格と目されたのが私です。

ラグビーのリーグの立ち上げは、サッカーのJリーグを作るのと同じくらい大変な仕事だと、Jリーグの設立の立役者の川淵三郎さんから言われました。私、そんな場所に予備知識もなくポーンといれられて、サポート体制もほぼなく、最終的にはポーンと追い出されました。軽い神輿を期待されていたんでしょうね。

そういう意味でも、ラグビー協会で「オッサン社会」を目の当たりにしました。いろんなことを歪め、外からわからんようにしながら、中心メンバーである男性たちが「ムラ社会」の中で内々に物事を決めていく。会議なんて、ただそれを通すのが目的なんです。

ところが、私たち女性理事はその「ムラ社会」の外にいるので、わからないことは質問しますし、納得できるまで議論を尽くそうとする。それで「女性たちがスムーズな会議の進行を妨げる」と感じた男性たちがいたのでしょう。「女が意見すると会議が長くなる」「わきまえない女はうるさくてかなわん」そんな訴えをラグビー協会の誰かから聞いた森喜朗さんが、彼らの思いを代弁されたんでしょうね。

ラグビー協会を追い出されてから、こうした内情を『おっさんの掟』という本に書いたわけですが、協会を辞めた後にもかかわらず、このことで「けん責処分」なるものを受けました。けん責って、本来は従業員など組織内の人間が対象なんですけど、ラグビー協会は、協会を辞めた私、つまりラグビー協会とはすでに関係のない人間を、組織内の懲戒規程を使って「処分した」こともびっくりでした。されたところで、私にはその処分は関係ないのです。何がしたかったのだろう?と、いろいろ不思議ではありました。そういうことが組織で決まることに、おかしいと思う理事はいなかったのだろうか?とか。

ちなみに、けん責になった理由は「情報漏洩」でした。ということは、本に書いた内容を、ラグビー協会は「事実」と認めたわけですね。もし虚偽であれば、それについて私と争うはずですから。にもかかわらず、「けん責処分」になったことで、私はなんか犯罪者みたいに見られたり、「あんなやつが書くものは信じられへん」と言われたり、さんざんでした。社会では、意外に組織の懲戒処分がどういうものか知られていないもんなんだなぁと。

ちなみに、本のタイトルではひらがなでしたが、本当はカタカナの『オッサン』にしたかったですね。既得権益や立場をふりかざしたり、損得で動いたり、「空気を読め」「立場をわきまえろ」っていう価値観が根っこにあるなら、カタカナで「オッサン、オバハン」だと思ってます。一方、ひらがなの「おじちゃん、おばちゃん」はその逆です。それは、「全日本おばちゃん党」をやっていたときにしていた定義です。

大阪のおばちゃんは、困ってる人を見たら放っときません。スーパーで知らん人のカゴに勝手に割引券入れてくるし、「これ美味しいで~」とかグイグイおすすめするし、思ったことは遠慮せず言う。こういう「大阪のおばちゃん」、私は誇りに思ってます。知らんけど。

「SRHR」と聞いてもピンとこない。「自分事」になった瞬間、人は動きだす

2023年にひとつ「オテンバ」をしまして、大阪の府知事選に出馬したんですよ。私が訴えていた政策のひとつに、「カジノ反対」がありました。だって、建設予定は大阪湾のゴミの島。いま、その島で万博やってますけどね。豆腐みたいな地盤だからズブズブ沈み続けちゃうわけです。それを税金使ってジャッキアップし続けるなんておかしいやん! と訴えたんですけど、みんな全然ピンとこないんですよ。「大きな話でよくわからん」と言われてしまって。

税金とかカジノとか、抽象的な言葉は響きませんでした。たしかに人間、自分の半径3メートルくらいのことしか興味を持ちません。でもそんな中で、「自分事」として受け取ってもらえたメッセージもありました。

たとえば、お兄ちゃんや弟の進学が優先されて、女の子だけ大学に行けないということは、まあまああります。社会構造ですよね。だから「自己責任という言葉が本当にイヤ」という話をしたら、ひとりの女性が立ち止まり、涙を流して聞いてくれたんです。

ああ、人の心に届くのは、抽象的な理念やスローガンじゃない。具体的な「自分の生活に重なること」を話さなきゃあかんねんと、そのとき強く思いました。抽象概念は伝わりにくい。具体的なことを話さないとわかってもらえない人が、世の大半なんだとわかるようになりました。

これ、まさにSRHRも一緒です。「性と生殖に関する健康と権利」って、でっかい看板だけど、抽象的すぎて「結局何のこと? 自分に何の関係があるの?」となりがちですよね。たとえるなら「うちはフルーツ屋です!」と言って、果物も野菜も、ドライフルーツもスイーツもスナック菓子も、総菜もお酒もハーブも売ってるような感じです。イチゴやスイカは野菜分類だし、結局、フルーツってなんだっけ?そもそも、何の店なのか伝わらないという感じです。

だから私は、SRHRというものを、果物を「ひとつずつ」手渡すように伝えていきたいんです。「安全で楽しいセックスをしたい」「清潔な水がほしい」「女の子も進学したい」そういう一つひとつの、自分を主語にした具体的な願いを言葉にしてこそ、みんな自分事として考えてくれるようになると思うんです。その願いを実現することを、権利があるというわけですからね。

SRHRという「でっかい看板」を、ひとつひとつの果物にして、みんなの手に渡していく。SRHRというバトンを未来へつないでいくために、それが大事なんだと思います。ジョイセフの理事として、これから一緒に走っていきます!

ミモザを贈るより、燃やしてSRHRを照らす「松明」に。聖火ランナーのごとく走る!

正直にいうと、「報われへんなあ」と思うこと、私もよくあります。世間では「女性活躍」とか言いながら、家事も子育ても、家族のケアも他人のケアも「女性がやってあたりまえ」。選択的夫婦別姓も進まないし、包括的性教育も、LGBTQの権利もまだまだです。なのに「もっと輝け」「もっと活躍しろ」なんて、よう言うわと思ってしまいます。

でも、そこでしゅんとせず、笑い飛ばしてエネルギーにして、前へ進まないと。よく思うんですが、3月8日の国際女性デーに、ミモザを女性に贈って、贈り合って満足してる場合じゃないですよ。今年の女性デーに、女性にミモザを贈る日とかラジオで有名な女性パーソナリティが言ってて、車のなかで大きな声でツッコミいれてしまいましたよ。「なんやそれ!そんなんちゃうわ!」って。

まだまだ、ミモザは松明にして走らなあかん状況なわけです。残念ながら暗い道はまだ続いているから、ミモザが象徴する私たちの思いを燃やして、次の世代の妹たちが暗くて困らないように、前を走る私たちが照らしながら走るんです。

日本では、女性が社会の真ん中に立ったことなんて、歴史をみても一度もない。でも、ほんの1ミリであっても、前進はしてるんですよ。若い世代はジェンダー平等も、SDGsもあたりまえに知っている。私たちは孤独に思えても、実はつながりが広がってきているんです。

疲れたら、無理に頑張ろうとしなくていい。そんなときは、好きなことをして、英気を養って、虎視眈々と次の一歩に備えたらいいです。きれいな花のふりなんかしないで、むしろ食虫植物みたいに「バコーン!」と口開けて、オッサン社会を丸ごと食うくらいの気持ちでいようと思ってます。

SRHRは難しいスローガンじゃなくて、実は人間の「あたりまえ」なんです。「食欲・性欲・睡眠欲」って、人間の3大欲求なのに、なぜ性欲だけ隠すんでしょう? 食のことや睡眠のことは普通に話すのに、どうして性のことだけ「恥ずかしい」のか? 食育は進み、快眠グッズは山ほど売ってます。性教育でなくて、性育ですよ、もはや。そう問いかけるだけで、世界は変わり始めます。

さて、そんなわけで私は、これからも走り続けます。ミモザを花束にするんじゃなく、燃やして松明にして、その火を掲げてSRHRを照らしながら走る。聖火ランナーのごとく、この火が次につなぐバトンです。受け取ってくれる人がきっといるから、炎は消えません。みなさん、一緒にがんばりましょう!

Author

JOICFP
ジョイセフは、すべての人びとが、セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利:SRH/R)をはじめ、自らの健康を享受し、尊厳と平等のもとに自己実現できる世界をめざします