ひとジョイセフと一緒に、世界を変えていく「ひと」

ジョイセフの活動が人生のターニングポイントに。敦子さんのこれまでとこれから

モデル、助産師

敦子

2023.4.7

人気ファッション誌のモデルとして活躍し、2022年春に助産師の国家試験に合格した敦子さん。現在、“助産師1年生”として、病院でお産に立ち会う日々を送っています。仕事に子育て、勉強など、パワフルに進んできた敦子さんは、実はジョイセフとも深い関わりがありました。

敦子さんが助産師を目指す決意をしたのは、ジョイセフの活動でタンザニアの訪問をしたことがきっかけだったといいます。タンザニアでの活動を振り返りながら、助産師を目指した思いやこれから先の未来について、お話を伺いました。

 


ジョイセフを知り翌日には事務所を訪問

雑誌『VERY』15周年のイベントの様子

-まずは敦子さんが「ジョイセフ」を初めて知ったときのことについて、教えてください。

2010年の秋に雑誌『VERY』の15周年イベントがあり、そこで初めてジョイセフを知りました。
イベントで、ジョイセフの小野美智代さん(現・ジョイセフ事務局次長)が登壇し、開発途上国の出産事情について話をしてくださったんです。そのとき小野さんが参照した海外のニュース記事を見て、衝撃を受けました。それは、東アフリカのタンザニアで、双子を出産した女性が直後に亡くなったという内容でした。妊娠や出産は命がけであること、タンザニアをはじめとする開発途上国では妊娠・出産で命を落とす人がまだまだたくさんいらっしゃることを初めて知ったのです。ちょうど私も、その年の夏に双子を出産し、4人の子どもたちを育てていたときでした。私は無事に出産し仕事にも復帰していたけれど、安全な妊娠や出産が叶わない国がある現状に驚き、無知だったことを思い知りました。

ジョイセフの活動をもっと詳しく知りたい、私にできることはないか。そんな思いから、すぐにマネージャーに相談し、イベントの翌日に事務所を訪ねました。これがジョイセフとの出会いです。

-敦子さんの行動力には驚かされます。以来、ジョイセフの活動に参加してくださっていますよね。

講演会やイベントなど、これまでさまざまな活動に参加しました。その間も、最初に聞いたタンザニアのことはずっと気になっていて。「いつかタンザニアに行って自分の目で見たい」「現地のお母さんたちの声を聞きたい」という思いは変わらずにありました。そして2015年、念願叶ってタンザニアに行く機会をいただきました。

タンザニアを視察し助産師になることを決意

ミルキーハウス前で運営スタッフや住民とともに写真に映る敦子さん。「母子保健棟」は、女性たちが、家族計画や性感染症の相談、産前産後の健診、分娩、産後に休養や入院ができる施設のこと。もともと母子保健棟は改修の予定がありましたが、劣化が激しく新たに建て直すこととなり、サラヤ株式会社の支援によって建てられました。

-タンザニアのシニャンガ州シニャンガ県にあるムワマカランガ診療所の母子保健棟が、サラヤ株式会社の支援によって「Milky House for Mothers(ママたちのためのミルキーハウス)」として完成しました。2015年に、敦子さんはジョイセフとサラヤの視察チームの一員として、現地を訪問されましたね。約一週間の滞在ではどんなことをして過ごしたのでしょうか。

ミルキーハウスの開会式(セレモニー)に参加したり、保健施設で現地のお母さんたちの話を聞いたり、学校で思春期の子たちに向けて行われている性教育の授業を見学したり。完成したミルキーハウスの壁に子どもたちとペイントもしました。滞在中、たくさんの方に会いお話を聞きました。

-念願だったタンザニアに行き、敦子さんの心境に変化はありましたか? 

タンザニアに行く前は、日本は物が豊かで何でも揃っていて幸せだと思っていました。タンザニアについては、物が豊かではないため、生活が大変だろうというイメージを持っていました。心のなかで「give(ギブ)しなければいけない」「手助けしてあげなければいけない」と一方的に考えていた気がします。

しかし、タンザニアに行ってその考えは大きく変わりました。物が豊かでなくても、現地の女性たちは本当に楽しそうに子育てをしていました。炊事場に女性たちが集まって井戸端会議をしながら食事を作っていたんです。水や電気、ガスもない環境でも、楽しそうに笑う姿が印象的でした。「私は子育てをしながらこんなに笑っていたかな」「日本ではお母さんたちに笑顔があったかな」と思い返しました。giveするだけではなく、むしろ私たちが得ることはたくさんあるのだと気づきました。

物がたくさんあることが幸せなのではなく、お互いの良いところをシェアし合うことが大切なんですよね。タンザニアで子育てをするお母さんたちを見て、「幸せ」の捉え方が変わりました。

-この滞在中に、敦子さんは「助産師」になることを決意されたと聞きました。

タンザニアで現地のお母さんや赤ちゃんと接するうちに、医学的な根拠を持って母子の支援をしたいと強く感じたんです。妊娠・出産を通して母子のサポートができる「助産師」になろう、と滞在中に決めました。帰国後すぐ、看護学校への受験準備を始めました。

-タンザニアの滞在は敦子さんの人生において大きなターニングポイントになったのですね。

そうですね。タンザニアに視察に行っていなければ、助産師にはなっていなかったかもしれません。それまでも、子どもや子育てに関わる社会貢献ができたら、と思い、食育アドバイザーやベビーマッサージ講師、チャイルドカウンセラーなど、民間の資格を取って勉強してきました。もちろん助産師の存在は知っていましたが、国家資格はハードルが高く憧れで止まっていました。ジョイセフとの出会いから、開発途上国の女性を取り巻く環境を知り、タンザニアでお母さんや子どもたちと接し、憧れから具体的な夢に変わりました。まさにターニングポイントだったと思います。

翌年、看護学校を受験して進学し、4年間学んで看護師免許を取得しました。その後すぐに助産師学校に進んで学び、2022年春から助産師として働いています。タンザニアの視察から、助産師として働くまでノンストップで今日まできました。大変なときはたくさんありましたが、「ここであきらめたら意味がなくなる」と自分を奮い立たせてどうにかやってきましたね(笑)。

ジョイセフの活動を通して変化したこと

-敦子さんには、3月8日の国際女性デーと連動したチャリティアクション「ホワイトリボンラン」にも参加していただいていますよね。ジョイセフの活動に長く関わられ、ご自身に変化はありましたか?

ジョイセフを知った2010年ごろは、子どもたちがまだ小さく、私の視線はどうしても家庭だけに向きがちでした。しかし、ジョイセフの活動を通して、今まで知らなかった世界に触れて視野が広がりました。子どもたちの幸せを願うとき、社会全体が幸せでないと我が子の幸せも確保してあげられません。そう気づいたとき、社会や世界をよくしていくことも大切なのだと思いました。

ジョイセフは、開発途上国の妊産婦支援のほか、国内で起こった災害時の支援など、国内外の危機的状況に向き合いながら活動されています。支援をするだけではなく、支援を受けた側が乗り越えていく過程も見守り、状況に応じて柔軟に対応されていますよね。グローバルな目線もドメスティックな目線も併せ持つジョイセフの姿勢は、親として子どもたちや社会全体の幸せを願う気持ちにつながっているなと感じます。

ホワイトリボンラン2016で行ったトークショー

-ジョイセフでは、日本の10〜20代に向けてグローバルな視野でSRHR(セクシュアル・リプロダクティブヘルス/ライツ)に関する幅広い情報提供を行い、アクションのきっかけを作るプロジェクト「I LADY.」を進めています。このプロジェクトには、Love Yourself(自分を大切にする)、Act Yourself(自分から行動する)、 Decide Yourself (自分の人生を自分で決める)というメッセージがあります。敦子さんも共感する部分があったのではないでしょうか。

子育てをするうえで母親が大切にしたいのは、まず自分を愛するということです。子どもを愛情で満たすためには、まずは親自身が自分を愛し、周囲からも愛情を注がれることが必要です。私は助産師学校時代、母子の愛情をミルクピッチャーを例に学びました。大きなミルクピッチャーがあり、そこにたっぷりのミルクを注ぎます。ミルクピッチャーが自分で、ミルクは愛情。溢れたミルクが周囲への愛情としてまわっていくイメージです。子どもを育てるとき、自分を愛することで自分を満たし、それが周囲への愛情に変わっていくんです。「Love yourself」は、助産師となって、より共感する部分でした。

また、私は、子どもたちにとっての一番身近なロールモデルでありたいと思っています。「人生は誰のせいでもなく自分で決めてここにいる」。良いことも悪いことも自分で選んで決めたことです。そんなふうに考えられると「この経験をどのようにバネにしていこうか」とポジティブに捉えられるようになります。Act Yourself、 Decide Yourself にも近い考え方かもしれません。

-ジョイセフの活動を通して、ご家族との関わり方にも変化はありましたか?

タンザニアから帰国後、子どもたちと旅に出るようになりました。離島に行ったりキャンプをしたり。テレビも電気もない場所で、家族で過ごす機会を意識して作るようになったことは大きな変化だと思います。朝起きたら海に浸かって遊び、日があるうちに水のシャワーを浴びて、夜はテントで過ごす。そんな日々を約2週間ほど過ごすのが、毎年夏の恒例になりました。

これは、ジョイセフの視察でタンザニアに行き、「子どもたちに何を伝えたいか」が明確になり「幸せ」に対する考え方が変わったからかもしれません。ものに囲まれている普段の生活から、テレビや電気などがない場所で過ごす旅は、とても新鮮で楽しかったです。旅先で出会った方が子どもたちを見てニコニコ笑ってかわいがってくださり、生きているだけでそこにいるだけで幸せを感じることができました。そんな気持ちを子どもたちにもたっぷり感じてもらえたのは、嬉しいことです。

助産師として母として敦子さんが思い描く未来とは

-助産師として働き始めてもうすぐ1年が経ちますね。敦子さんの目標やこの先目指していることをぜひ教えてください。

私はまだ助産師になったばかりの“助産師1年生”です。いまは、お産に立ち会い経験を積み、技術と知識をつけていくことのみです。一人前の助産師になれるように頑張っていきたいです。

あまり知られていないかもしれませんが、母子の健康を記録する母子手帳(母子健康手帳)には、赤ちゃんを取り上げた助産師の名前も記載されます。担当した助産師として母子手帳にハンコを押すとき、私はいつも「この子がどうか幸せに過ごせますように」「未来がいいものになりますように」と願いを込めて押しています。ひとりの大人として助産師として、誕生した子たちの未来に無責任ではいられません。責任の重さを感じ、厳粛な気持ちで一つずつ名前を押しています。

助産師として働きながら、自分の出産のときのことも思い出します。安全な分娩になるように見守ってもらいながら「自分で産めた」という自信も持たせてくれた助産師さんの存在は、とても心強かったことを覚えています。助産師は後方支援という役目だと改めて気づかされます。

-敦子さんご自身が思う理想の社会について。これからどんな社会になったらいいなと願っていますか?

ひとりの人間として、自分の人生を肯定しながらたくましく歩んでいける人が増えるといいなと思っています。女性とか男性とか、母親、父親だとか、年齢や性別、置かれた立場でカテゴライズするのではなく、自分を大切にして肯定する力がこれからの社会には必要だと思います。子どもたちのお手本になるような生き方を示していきたいです。

助産学校の卒業式の敦子さん。(敦子さん提供)

「助産師としていろいろなまちに行き、お産のお手伝いをするのが大きな夢です。いつかタンザニアに行き、お母さんたちのサポートができたらいいなと思います」。

敦子さんは最後に、「実現するかどうかはわからないですけど」とご自身の夢を笑顔で教えてくださいました。ジョイセフとの出会いをきっかけに、タンザニアの視察から助産師になった敦子さん。母親として助産師として、社会で生きるひとりの大人として、強い思いを知ることができました。

人生の大きな選択をしたその姿は、ジョイセフが大切にする「自分のことを自分で決める」という言葉を体現するようでもあります。敦子さんの行動力や思いに、勇気をいただきました。

執筆:鈴木ゆう子
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