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中絶にまつわる3つの法律の歴史をたどる

2022.2.26

ジョイセフでは2019年から、毎年9月28日「International Safe Abortion Day」(安全な中絶・流産のための国際デー)に向け、アクティビストを対象にリプロダクティブ・ライツのひとつ「安全な中絶」をテーマに勉強会を行っています。2021年は「選べない今から、選べる未来へ」を開催しました。

「法律で禁止されていたとしても、育てられる状況ではないからと中絶を選ばざるを得ない人はいます。だからこそ、さまざまな意見があっても、中絶の手段は保障されるべきなのです」と話すのは、ライター・編集者の大橋由香子さん。日本の中絶事情が国際スタンダードから遅れている原因を、歴史的な背景からひもといていただきました。


1、「刑法」で中絶を禁止した明治時代【1907年】

日本という国は、大昔に作られた法律でも、その伝統を大事にする国です。堕胎罪(だたいざい)は、そのひとつ。今から115年前、明治時代の1907年に刑法の第29章に規定されて、今もそのまま存在しています。

第29章で罪に問われるのは、中絶した女性と施術者だけ。アジア太平洋戦争が激しくなり「産めよ殖やせよ」の時代を前に、産児調節(避妊)を広めようとした運動家の加藤シヅエさんが人民戦線事件で検挙された後に産児調節相談所が閉鎖を命じられたり、中絶した女優の志賀暁子さんが逮捕されひどいバッシングを受けたりしました。

当時の女性は、農村や工場で過酷な労働を担い、家事労働や跡継ぎと兵力の出産も期待され、「子宝部隊」と呼ばれました。ところが選挙権はなく、社会参加できない状況に置かれていました。

第二次世界大戦後の社会では、日本国憲法に男女の平等が明記され、女性が選挙権を獲得し、民法における女性差別も改善されました。刑法では姦通罪がなくなり、最近では2017年に強姦罪が見直されました。ところが、堕胎罪はそのままなのです。

2、「優生保護法」で医師に中絶手術を許可【1948年】

1948年には、「優生保護法」ができました。この法律ができたのは、敗戦後の混乱、兵士の引き揚げなどによる人口増加や混血児の出生に対応するためでした。

人口を減らす必要があるなら、本来は避妊を普及させることが大事になります。ところが当時の状況から急いで対応しようとして、戦前の「国民優生法」をもとに優生保護法ができたのです。こうして、刑法堕胎罪の条文は残したまま、例外として、優生保護法指定医という産婦人科医師にだけ中絶手術を許可する、という仕組みができました。

この法律の第1条の目的は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する(※)とともに、母性の生命健康を保護する」です。優生的な項目は、1996年に削除されます。

(※)「優生保護法」第3条、第4条、第12条に基づいて行われた優生手術や「不良な子孫」については、こちらの論文を参照。

3、SRHRの視点が入らなかった「母体保護法」【1996年】

カイロでの国際人口開発会議や北京世界女性会議などの影響もあって、1996年、優生保護法から差別的な記述が削除され「母体保護法」になりました。

でも文字通り、優生的な条文をカットしただけ。女性自身の産む・産まないという選択を保証する「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR:性と生殖に関する健康と権利)」は、依然として明言されていません。1948年から現在まで、配偶者同意が必要、価格は高額、手術方法も古い、という状態が続いています。

その結果、誰にも助けられないまま妊娠を中断できずにひとりで悩んだ挙句、社会的にもバッシングされる。このような、中絶に対する懲罰(ちょうばつ)的な見方から来る“負の対応”が野放しにされてしまっています。

この流れを変えるには、法律を変え、法律とセットになっている人々の意識も変える必要があります。

自分のからだのことを自分で決められる未来に

国会議員に当事者の声を届ける「院内集会」では、数年前まで「SRHR」を口にすること自体がタブー視されていました。2000年以降の「性教育バッシング」(※)の全国的な広がりや、少子化が問題となっていたこともあり、産まない選択へのサポートが減らされるという政治的な動きもありました。

ただ最近、変化が生まれたと感じます。2〜3年前の院内集会で、若い人達を中心に「SRHR」が言及されていました。社会では、“生理の貧困” や電車内での痴漢など、女性だからこそ感じるモヤモヤに声を上げる人が増えています。

SRHRをもっと大きな視点で捉えると、自分のことを自分で決め、そのために必要な助けを得て、日々行動するということです。こういった動きがさまざまな場所で起こっていることに、私は未来への希望を感じています。

(※)当時の「東京都立七生養護学校(現・東京都立七生特別支援学校)」で実施されていた性教育を、一部の都議会議員やメディアがセンセーショナルに取り上げ、学校関係者が処分された出来事や、中学生向けの冊子「思春期のためのラブ&ボディBOOK」の回収など、保守派が「過激な性教育」と決めつけて非難する動き。

プロフィール

大橋 由香子
出版社勤務を経て、フリーライター・編集者、大学非常勤講師。著書『ニンプ・サンプ・ハハハの日々』(社会評論社)『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人―フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)ほか。雑誌「エトセトラ」(エトセトラブックス)で「Who is she?」を、光文社古典新訳文庫サイトで女性翻訳家インタビューを連載中。
ボランティア活動で、「SOSHIREN女(わたし)のからだから」「優生手術に対する謝罪を求める会」「#もっと安全な中絶をアクション(ASAJ)」などに関わっている。
●SOSHIRENでは、中絶体験を描いた演劇に関するトークイベント(無料)を3月3日(木)に実施します。ぜひご参加ください。
ソシレン40周年記念連続イベント 第2回  脚本家 石原燃さんに訊く『彼女たちの断片』と中絶(要申し込み・無料)
●「#もっと安全な中絶をアクション」で毎月実施しているトークの「第9回『移民女性の妊娠』に見る日本の課題」にて、田中雅子さんにベトナム実習生のケースも含めて、お話を伺いました。

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