アフガニスタンの女性を救え 現地NGOスタッフ 命がけの挑戦 (後編)
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2010.7.21
2010年6月、ジョイセフと連携して行うプロジェクトの打ち合わせのために来日したアフガン医療連合の事務局長のババカルキルさんに
前篇ではアフガニスタンの現状と現地での活動について話を聞きましたが、後編ではババカルキルさん自身の家族について語ってもらいました。
ババカルキルさんのプロフィール
本名: Abdul Wali Babakarkhil
アフガン医療連合の事務局長。アフガニスタン人。
タリバン政権下においても、女性支援が禁止されるアフガニスタンで身の危険を感じながら母子保健NGOの活動を信念を持って続けてきた。ジョイセフとの出会いは2001年で、東京で開催されたアフガニスタン復興支援国際会議で来日したときのこと。
仕事には厳しく、家では優しいお父さん。妻は女医で二人の間に5人の子どもがいる。
イスラム教徒でお酒は飲まないが、パーティーでは飲んでいる人よりテンションが高い。ジョークで人を笑わせるのが大好きだが、調子に乗って笑っていると「真剣に人の話を聞け」と注意してきたりするお茶目な性格。
インタビューを終えて
家族のことを聞くと、ババカルキルさんは仕事の話をしていたときとはまるで違う、とっても優しいお父さんの顔をしていました。
子どもたちが愛おしくてかわいくてたまらない!という感じでした。
自分の妻も子どもも、兄弟姉妹も、アフガニスタンの村人たちも、全員「自分の子どものようなもの」と言い切る彼は本当にみんなの父親なのだと思います。
彼のように母国のために活動する人々を、これからも皆で支えていきたいと強く思いました。
ご家族についてお聞かせください。
私には妻が1人、娘が5人、息子が1人います。
息子は高校生ですがプリメディカル(医学部進学課程)に通っています。
娘は1人が10年生で、8年生の娘は成績が学校でトップです。
他に7年生の娘と、エダという2年生の子がいます。一番小さい子は私にそっくりで、カイナっていう名前ですが、まだ小さくて家に母親と一緒にいます。
妻は日々子どもたちの世話をしています。
日中は子どもたちはイスラムの学校に通っています。イスラム教はきちんと学ばせなければなりません。
なぜなら、彼らがいつか外国に住むことになったとき、自分たちの出身のこと、自分の信じている宗教について理解していることが大切だからです。
仕事でアフガニスタン、ヨーロッパ、日本などを旅行することが多いと思いますが、ご家族は寂しがっていませんか。
ええ。
一番最初、スイスのジュネーブに出発するとき娘たちは泣いていました。
息子は泣いていなかったけれど、長女と次女が泣きました。私も別れが辛かったです。今はみんなも慣れてきました。
以前の来日でジョイセフに来ていたとき、私が妻に電話できなかったため、妻が医療連合の事務所に電話をかけ、事務所がジョイセフに電話をしてきたことがありました。
家族はいつも私の所在を確かめようとしています。ですから私も心配で、家族専用の携帯電話を持っています。
会議中は普通電源を切りますが、この携帯電話は24時間いつもオンにしています。
ご家族はあなたのことを心配しているんですね。
そうです。なぜなら彼らはテレビを見たり、いろいろなニュースを聞いたりして心配になるのです。
こんなこともありました。
私は日本へのビザを受け取るために、アフガニスタンの首都カブールにいましたが、パキスタンのペシャワールに飛行機チケットを買いに行かなければなりませんでした。
妻と娘たちはイギリスから来る兄弟を迎えるため、たまたま私と一緒にいました。
アフガニスタンのジャララバードからパキスタンに行ける唯一の町であるトルクハムに向かっていたとき、私たちのほんの100メートル先で石油タンカーが爆発したのです。
アメリカ軍に石油を運んでいたタンカーです。人が燃えているのが見えましたが、私たちにはどうすることもできませんでした。
妻は非常にショックを受けました。なぜなら、私は普段その道を使っているからです。
そんな日常です。
お母さんのことをお聞かせいただけますか。
母は私のきょうだいと一緒にカナダで暮らしています。
どんな方ですか。
私の母は教育を受けていません。でも、私たちのことをとてもサポートしてくれます。人は誰でも母親を尊敬するものです。私もそうです。
ですが、私は長男ですから、ときに母に対して厳しいことを言うときもあります。
父が亡くなったとき、これはアフガニスタンの伝統で、母と長男の自分とで、力を合わせて家を守ろうと提案しました。
母は、「いいえ、いけません。あなたは長男なんだから家族全員に対して責任があるのよ」と言いました。
2月に母の母、つまり私の祖母が亡くなりました。母の兄弟が電話すると、母は泣きながらそちらに行きたいと言いましたが、私は来てはいけないと言いました。
なぜなら私の弟の妻が妊娠していたからです。
私は弟のところにいてくれと言いました。特別な状況だったからです。
そして、彼女は承知してくれました。
母はそういう人です。
お母さんととてもよい関係を築いているんですね。
友達ですね。母親ともきょうだいとも。
日本では、西欧と同じで人々は自分のことは自分で決めることができますよね。
私のきょうだいもカナダに住んでいますが、彼らのお嫁さんは私が選びました。
彼らは喜んでいます。これは私たちの文化です。私は長男ですから彼らに対して責任があります。
父親のようですね。
はい、そうなのです。
私は家族のことはすべて自分のポケットから支払います。
もしきょうだい一緒に負担するというなら、拒みませんが、いつもは自分で全部支払います。母ときょうだいと子どもたちの面倒をみることが私の責任だと思っています。
でも、妻はときどき言います。 「あなたには子どもたちのために働いてほしい。あなたのきょうだいには仕事もあるし、学校へも行っている。いろいろなものも持っている。けれどあなたの子どもは、あなたがいつか死んでしまったら、何も残らないかもしれないのよ」と。
だから私はいつも言います「わかってる。未来は神がうまくやってくれるよ。私たちは導かれているんだから」妻はいつもこのことを強調しますが私は妻には同意できません。
私は「自分は父親代わりなのだから皆の面倒をみなければならないんだよ。なぜならきょうだいたちも私の息子なんだから」と言っています。
妹だけはアメリカに住んでいます。彼女はかわいいのですが、とても気が強いところがあります。いつもきょうだいとけんかばかりしています。私ともしますし、他のきょうだいとも。しかし、素晴らしい妹ですから、彼女が幸せであればいいと思います。
そう、この来日でキャンプに行ったんですよね。楽しかったですか。
ええ、とても。企画してくださったウチボリさんにお礼を言いたいと思います。
彼は私に敬意を表してくれました。
空港まで娘さんたちと迎えに来てくれて、気持ちを伝えてくれました。
楽しいキャンプに連れて行ってくれました。それからワカさんと、オカさんとカナコさんも美味しいバーベキューを用意してくれました。ウチボリさんとテントを組み立てたのも楽しかった。
ありがとうございました。
最後に日本の皆さんの健康と長寿をお祈りしています。
*インタビュアー: 甲斐和歌子(広報グループ)
*和訳協力: 伊藤和子、伊藤麻理