あれから10年 インドネシア・アチェの震災復興から学ぶ、心に寄り添う支援
- レポート
2014.12.26
2004年12月26日、インドネシア・アチェに甚大な津波被害をもたらしたスマトラ沖大地震が発生しました。あれから10年。アチェの復興までの道のりを東北の女性とともに辿り、今後の東北支援のあり方を考えました。
2014年2月、一緒にアチェを訪れた参加者は、ジョイセフが東北で行った女性のエンパワーメントプログラム(ジョイセフ・カレッジ)に参加した3名。
今回の視察では、ジョイセフとジョイセフの現地パートナー団体であるIPPFインドネシア(インドネシア家族計画協会)がアチェの復興の一環として、震災後に取り組んできたトラウマケア、女性への経済支援(マイクロクレジット:小口融資制度)、被災した子どもたちへの奨学金制度などの模様に触れてきました。東北の女性と現地の女性たちとの経験シェアも実施し、災害時における心理状態の共有や防災に関する意見交換も行いました。
トラウマケア
ジョイセフとIPPFインドネシアによるトラウマケアが行われたのは、2007年~2009年。視察に訪れたヌサ村にも専門家が派遣され、トラウマを抱える子どもたちの調査を行い、身体に触れ合うマッサージや特別な治療を通してケアを行ってきました。また、村の女性たちは週に一度集会所に集まり、廃材を利用したクラフト作りをしながら、悩みなどを打ち明けることで心のケアにつなげました。このクラフト作りは今も続けられ、雑談を通して胸の内を共有しあい、住民を孤立させない秘訣になっています。少ないながらも収入創出の場としても役立っています。
マイクロクレジット(小口融資制度)
ジョイセフとIPPFインドネシアは、女性たちへ経済的自立を支援する活動にも力を入れてきました。女性たちは10人で1つのグループを構成し、連帯責任を負いながら1人あたり年間1万円ほどの融資を受けます。グループ内の誰かの返済が滞ったときは、メンバーで補い合いますが、これまでに脱退したのは50人のうち3人のみです。
- ロシタさん(55歳)
ロシタさんはあの日のことをこう振り返りました。「大きな地震の後、海でものすごい音がしました。見てみると大きな黒い壁がそびえ立っています。最初、それが津波だということに気がつきませんでした」。ロシタさんの住むアルナガ村は人口1500人の小さな村でしたが、人口の3分の2にあたる尊い命が津波によって失われました。「地震から3カ月は夜も不安で眠ることができませんでした。少しの揺れ、風の音にも怯えていました。避難所で将来が描けない毎日を送っていたときIPPFインドネシアのマイクロクレジットのことを知りました」。融資は1年間で1万円ほどと決して多くはありませんが、これによって生きる目的ができたと語ります。津波の前から市場で魚を売り、家計を支えていましたが、マイクロクレジットを受け取ってからはより自信がついたと言います。「市場ではたくさんの女性たちが私と同じように魚を売っています。だから、他の人より売れるように笑顔を忘れず接客を工夫しているんですよ」。ロシタさんは最後にこう付け加えました。「震災で辛い思いをたくさんしたけれど、人生はよい方向に向かっていると感じるし、そう思える力を得ました」。
被災児への奨学金制度
震災で親を亡くしたり、経済的に苦しい状況にある子どもたちを対象として、ジョイセフの支援で2006年から2010年まで奨学金制度も行ってきました。
- サラ・アヤラさん(13歳)
「津波のときには高い所に逃げたので、家族全員無事でした。でも、たくさんの親戚を亡くしました。奨学金をもらったことで勉強を続けることができ、とても感謝しています。将来は医者になりたいと思っています。困っている人たちからはお金を受け取らず、無料で診察する医者になりたいんです」。
女性と防災の視点を共有する、経験シェア
東北の女性3人とアチェの女性たちに集まってもらい、互いの経験を共有する交流プログラムを行いました。
プログラムでは最初にお互いの歩んできた道を紙に書いてもらい、これまでの人生を振り返ることで、苦しかったときや悲しかった出来事をどう乗り越えてきたか見つめ直しました。参加者の多くが震災を経験しているため、地震の話になると、泣き出してしまう方も。この後はグループに分かれ、「もしまた津波がきたときのために準備しておきたい10のこと」をテーマに、アイデアを出し合いました。最終的に落ち合う場所を決めておく、海辺にマングローブを植える、パニックにならない、神に祈る…などなど。それぞれの経験と教訓をもとに、今後の防災に役立つ情報がシェアされました。
ここで得た経験をもとに、東北からの参加者たちからは、彼女たちが今後地元で取り組んでいきたいと考えている震災復興活動に向け、弾みがついたとの前向きな意見が聞かれました。
視察を終えて
震災から10年を経過したアチェの街は、美しく整備され、出会った人びとには笑顔があふれていました。未曾有の経験を経て、街はガラリと雰囲気を変えました。支援のためにやってきた国際的なNGOは、街を再建するとともに、インドネシアの中でもイスラム教に厳格なことで知られるアチェの街に新しい風を吹きいれ、人びとの意識に変化を生み出しました。震災後にできたショッピングモールでは、流行のファッションや有名ブランドの化粧品を手に入れることもできるようになりました。1人で外を歩くことさえままならなかった女性たちは男性たちと肩を並べ、喫茶店でコーヒーを楽しみ、バイクに乗って外出もできるようになりました。もちろん、まだまだ厳しい規律はありますが、地震がもたらしたものは、悲しみばかりではなかったようです。
今もなお、残る傷跡
しかし、人びとの心には今もなお、深く消えない記憶が残っていることも確かです。地震を後世に語り継ぐために建てられた津波ミュージアムに足を踏み入れたとたん、いつもはムードメーカーのIPPFインドネシアのスタッフが涙を流し悲しみに震えていました。東北の女性との交流プログラムでは、人生の振り返りのワークショップにおいて、参加者の抱えてきた思いが途切れなくあふれ出しました。
街の再建だけが復興ではありません。復興にかけた時間の分だけ、誰とも共有できないものが大きくなることもあります。今回のツアーは、震災という未曾有の経験に対峙したとき、私たちには時間の経過に伴った心に寄り添う継続的な支援が必要なのだということを、改めて考えさせてくれる機会となりました。
もう4年、まだ4年。心に寄り添った支援の必要性
東北も来年3月には震災から丸4年を迎えます。もう4年。そんな声も聞かれるようになりました。しかし、現場を訪れれば、本当の意味での復興はまだ始まったばかりだということに気づかされます。
今回のツアーに参加した小林知子さんは、アチェで続けられるトラウマケアの現場を視察して、「東北の中でも温度差がある。もう過去のことだと思っている人もいるけれど、前に進めない思いを誰にも伝えられず、悩んでいる人も多い。もっと共有する場が増えれば」との思いを語ってくれました。
遅々として進まない復興に対する焦燥感や、受け入れ難い現実の狭間で、言葉にならない思いを抱えた人びとが東北にはまだまだいます。
緊急支援から、心に寄り添ったケアへ。ジョイセフはインドネシア・アチェの復興の道のりを辿るツアーから得た学びを活かし、これからも時間の経過に合わせた東北の女性支援に力を入れていきたいと考えています。