妊産婦の命を守るために: 地域からの支援を引き出す鍵となる母子保健推進員
2015.12.16
- レポート
- ミャンマー
母子保健推進員再研修の実施
公益財団法人ジョイセフは、2014年2月から2016年9月までの予定で、国際協力機構(JICA)の草の根技術協力事業(草の根パートナー型)として、ミャンマーで「農村地域における妊産婦の健康改善のためのコミュニティ能力強化プロジェクト」を実施しています。対象地区は、ミャンマーのデルタ地帯に位置する、エヤワディ地域のチャウンゴン・タウンシップで、2014年のデータによると、人口は163,773人、世帯数は41,379です。
筆者は、この事業の一環で2015年11月23日と24日の2日間、母子保健推進員(以下、母推さん)の再研修の様子をモニタリング(視察)しました。この両日で、チャウンゴン・タウンシップ内の、農村保健所(RHC)7カ所と准農村保健所(Sub-RHC)32カ所を中心に、時には近隣の僧院やコミュニティセンターに場所を借りて、約50カ所で一斉に再研修が行われました。筆者は、このうち4カ所(Daunt Gyi RHC、Lay Eain RHC、Lu Thant Chaung Sub-RHC、Khain Tar Sub-RHC)での再研修に参加する機会を得ました。
保健所前で集合写真(Khaing Tar准農村保健所にて)。母推さんたちは、タウンシップの母推さん全体の総意で決めたユニフォームを着て、同じデザインのバッグを携行し、胸に母推バッジをつけて活動しています。
母子保健推進員
母子保健推進員とは、ミャンマー保健省にジョイセフとJICAが協力して養成してきた女性の保健ボランティアです。地域の女性たち、特に妊産婦や小さな子どものいる母親が、必要な母子保健サービスを受けられるように支援する役割を担っています。チャウンゴンでは、2010年に保健省が最初の養成をして以降、一部人員は交代しながらも、現在も当初とほぼ同数の1161名の母子保健推進員が活動しています。
1161名の母子保健推進員(母推さん)の活躍による成果
プロジェクト地区であるチャウンゴン・タウンシップでは、母推さんの妊婦への声かけや、夫や家族への啓発教育等の地道な活動により、産前健診や予防接種率が、目標値を上回る実績を上げつつあります。
成果指標 (出典:チャウンゴン・タウンシップ保健局) | ||||
指標 | 基準値 (2013年) |
目標値 | 2014年 | 2015年 (暫定) |
1.訓練を受けた介助者が立ち会う出産の割合 | 68% | 75% | 73.7% | 78.2% |
2.産前健診受診率(妊娠期間中最低1回) | 88% | 95% | 98.6% | – |
3.妊婦の破傷風予防接種率(2回) | 82% | 90% | 97.8% | – |
4.コミュニティ(准農村保健所または農村保健所)からタウンシップ内の上位医療施設(ステーション病院またはタウンシップ病院)への搬送・照会率 | 22% | 25% | 26.7% | 31.0% |
タウンシップでの妊産婦死亡率は着実に改善されてきていますが、村によってはまだ妊産婦の死亡が見られます。出血等の危険兆候を見つけた時にどのように対応するのかは、母子保健推進員全員がすでに習得していて、地域での適切な支援を得るためのノウハウも定着しつつあると思います。今回の再研修でもこのことは繰り返し確認されていました。
ちなみに、ミャンマーの全国レベルの妊産婦死亡率は、2015年で出生10万対178と国連機関によって発表されています。
新たな学び
学ぶことや新しい知識を得ることは「喜び」であると語る母推さんたち
今年の母子保健推進員の再研修は、主に次のような科目によって構成されています。
- 母子保健推進員ハンドブック及び質疑応答集の内容の復習
- 母子保健推進員活動フォームの記入法の復習
- 家族計画(避妊)
- 妊婦体操(実技指導)
- 今後の予防接種スケジュールの確認
筆者が視察した場所はどこも、自由な質疑応答もできる参加型の研修を行っていて、受講者である母推さんたちは、最初から最後まで非常に熱心に聴き、メモを取り、質問し、各科目に取り組んでいました。今年から新しく導入した「家族計画」や「妊婦体操」の科目にはとりわけ高い関心が示されました。家族計画は、今までの母子保健推進員ハンドブックの中でも取り上げていた科目ですが、現在、ミャンマー保健省の方針として、避妊薬(具)の配布や利用促進といった役割を、助産師などの専門の保健医療従事者から徐々に地域保健ボランティアへ移行していこうという、「タスク・シフティング(役割の移行)」が検討されています。そのため、母子保健推進員に対して、改めて家族計画に関する知識・情報の再確認を行い、地域住民への知識・情報提供と、避妊実行希望者を助産師に繋いでいく役割について、科目を設けたのです。
人気の妊婦体操:和気あいあいと行われました
妊婦体操に初めて挑戦する母推さん、笑いの絶えない楽しいセッションとなりました
今回の再教育の中でとりわけ人気のあった科目が妊婦体操の実技演習でした。これは、2015年2月に行った、シャン州(母子保健推進員がミャンマーで最初に養成され、JICA・ジョイセフからの直接支援(2005年~2010年)が終了した現在でも自力で活動を続けている地域)との相互視察研修に参加したチャウンゴンの助産師や母推さんが、シャン州の母子保健推進員が今でも、当時の日本人専門家によって紹介された「妊婦体操」の教本を持ち、実践していることを学んで、自分たちの地域にも取り入れたいと望んだことから始まりました。ジョイセフは、ミャンマー保健省やJICAと協議をした上で、チャウンゴンでも取り組み始めることを決定しました。ミャンマーでは日ごろあまり運動をする機会がないため、母推さんも妊婦体操に取り組み、思ったほど自分の体が動かないことで、思わず笑ってしまったり、お互いの動作を見て評価し合ったりするなど、和やかな中にも、大変な盛り上がりをみせました。腕を上げたり回したり、楽しそうな皆さんの演習の様子を見て、筆者もつい参加してしまいました。多くの母推さんから、これは妊婦だけでなく、地域の高齢者にも教えていきたい、村の健康づくりの一環として広めたいと言う話も出てきました。これから、妊婦さんや地域の人たちに広めていく役割を担う母推さん自身が、体を動かす喜びを感じてくれたのもよかったと思います。
妊産婦のために地域支援を引き出す母推さん
とは言え、ミャンマーでの妊産婦死亡はまだなくなっていません。妊産婦への緊急支援には、個人や家族の備えだけでは足りないこともあります。今回の視察では、母推さんが、村の支援を引き出す鍵となる人物へと成長しつつあることも感じました。多くの村では、母推さんや助産師さんたちが、地域の指導者たちと協力して、妊婦に対して緊急の資金提供を行うシステムが機能し始めています。今回訪問した先でも、貧しい妊婦がその恩恵にあずかっていると報告がありました。搬送のための緊急車両を出すなど、入院や治療用の資金として誰でも分け隔てなく使えるシステムだということです。プロジェクトで取り組んできた、地域参加型保健計画の立案・実施の働きかけによって、いまだ社会保険制度が進んでいないミャンマーの相互扶助システムとして効果が出ているのを知ることができました。
家族計画推進のためには、男性のモチベーションが大切であるとの認識で一致しました
コミュニティの行動変容の鍵に
今回、プロジェクト地区の再研修を視察してみて感じたのは、母推さんたちの雰囲気が以前と違ってきていることです。村の妊産婦や新生児の命を守るのだという強い意志の表明。さらに、今自分たちが置かれている状況を自分たちが変えるのだという気概を感じることができたのです。タウンシップ内の保健施設には、約20人~40人の推進員(30世帯に1人の割合)が、助産師をはじめとする政府の保健医療従事者と共に活動していて、彼女たちの間では、母と子の命と健康を守るためのグループダイナミックスも生まれていると感じます。母推さんとしての責任感が更に強まり、自分の村で一人として妊娠や出産で命を落とすようなことがあってはならない、そのために村を挙げて女性の命を守らなければならない、という方向に向かって、コミュニティを動かしていく鍵となる人物として成長しつつあると思います。隣近所の人たちから喜ばれ、地域社会から期待されているという喜びと誇りに満ち、自分の能力を強化することでさらに自信を持った母推さんたちのエネルギーは着実にコミュニティを動かす原動力となるでしょう。
相互扶助から社会資本へ
ミャンマーの農村には、かつての日本でもそうであったように「相互扶助」の精神が確実に根差していると思います。仏教観に基づき、人に尽くすこと、功徳を施すことにより、自分も救われると考える人が多いのでしょう。そして、このような人々の個別の動機づけが、うまく保健システムに組み込まれていけば、現在、物不足や人材不足のミャンマーにおいて、多くの不足を補いうると考えます。人が人を支えるシステム、それが「セーフティネット」として機能すると言う意味では、母子保健推進員制度はチャウンゴン・タウンシップでは「社会資本(ソーシャル・キャピタル)」のひとつとなりつつあると考えるのは言い過ぎでしょうか。
母子保健はUHCの基礎
さらに母子保健は、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の国家事業における、タウンシップレベルでの基礎保健サービスの重点項目となっており、チャウンゴン・タウンシップでの好事例を発信していくことは、ミャンマー国内の他地域にとっても、参考になると思います。
(2015年11月、ミャンマー、チャウンゴン・タウンシップにて、報告者:鈴木良一)