新生ミャンマーでの歴史的会議
第8回アジア・太平洋地域リプロダクティブ・セクシュアルヘルス/ライツ会議開催
- レポート
- ミャンマー
2016.3.3
セクシュアル・リプロダクティブヘルス/ライツ(SRHR)の
普遍的なアクセスを保証する ― ネピドー・コミットメントを発表
会議テーマ「SRHRの普遍的アクセスの保証」
今回の会議テーマは、「アジア・太平洋地域の持続可能な開発の実現のために、セクシュアル・リプロダクティブヘルス/ライツ(SRHR)の普遍的なアクセスを保証する」というもの。目的としては、①SRHRの関係者にテーマに沿った経験や教訓を共有すること、②SRHR分野の研究成果をレビューすること、③SRHRのアドボカシー、政策、財務、ガバナンス、アカウンタビリティにおける証拠に基づいた実践を共有すること、④SRHRのパートナーシップを強化し新たな連携の機会を開くこと、でした。
また、2016年から始動した新たな開発の枠組みであるSDGs(持続可能な開発目標)「持続可能のための2030アジェンダ」に対しても、SRHR分野での影響を与える会議となったのではないでしょうか。この会議は、「市民社会がリードするアジア・太平洋地域会議であり、人権をベースにしたSRHRやすべての人々のウェルビーイング(良好な状態)のために、参加型で行われる国際的対話である」と位置づけられています。
第8回会議は、2016年2月23日~26日の4日間、ミャンマーで、ミャンマー政府保健省、ミャンマー母子福祉協会(MMCWA)及びSRHR関連の国連機関、国際NGO等の共催・協力で、開催され、初日の若者会議、その後の本会議を通してSRHR分野の新しいパラダイムや戦略づくりについて、首都ネピドーの最高気温35度をしのぐ熱い議論がSRHRの強い連帯のもとに参集した各国及び各機関の参加者によって連日展開されました。ミャンマーは2015年11月の総選挙の結果を受けて、新しい民主政権に変わる「前夜」に当たるタイミングでもありました。この会議が連日報道機関によって広く報道されたことは、ミャンマー国内においても重要なインパクトを与えたと感じました。
20カ国以上の1000人が参加
今回の会議の参加者は、アジア・太平洋地域の20カ国以上の国々から、CSO・NGO代表、若者代表、研究者、政府代表、メディア、企業や開発パートナーからの参加者などを加えて、総数1000人を超えました。
ネピドーの国際会議場には、関連機関・研究機関・NGO・企業などのブースが約40設営され、訪問者への説明や資料配付が行われました。またブースの中にはミャンマーの各州や地域の特産品を販売するコーナーもあり、海外から来た参加者がお土産品を求める和やかな場ともなっていました。
また、この2年間の研究成果を発表する約90のポスター展示があり、ランチタイムを中心に説明時間が設けられました。今後のSRHRの展開における科学的エビデンスになる有益な研究成果が多くありました。
日本から参加した団体がジョイセフのみだったのは残念でしたが、今回の会議の運営で、参加費の送金手続き、ビザの発行手続き、開催地がネピドーということでの交通の不便さ、参加する場合にかかる全体経費等などの課題が多く、ミャンマーでの開催の難しさは多々ありました。予定していた発表者や参加者が間に合わなかったことや参加を断念した人もいたようです。
しかし、それをおいても、この会議の持つ意義は、ミャンマーが現状で出しうる最大限の力を発揮して開催できたことではないかと、長くミャンマーを知る私としては最大の賛辞を贈りたいと思っています。ほぼ10年前の2005年11月の首都移転に伴い、ネピドーに突然、まずは、国家公務員が移動させられたのを目の当たりにした私にとっては感慨深いものがあります。広大な大地につくられた新しい都市が今や100万人の人口を抱える首都にまで成長したのです。
受け継がれるミッションとパッション
この会議は今回で8回目。SRHRの推進を呼びかける会議として、2001年のマニラ(フィリピン)から、2003バンコク(タイ)、2005年クアラルンプール(マレーシア)、2007年ハイデラバード(インド)、2009年北京(中国)、2011年ジョクジャカルタ(インドネシア)、2014年マニラ(フィリピン)とこれまでほぼ2年ごとに開催されてきています。その間SRHRのミッション(使命)とパッション(情熱)は、確実に次の世代に受け継がれてきています。私個人としては、今回初めて参加する機会を得ましたが、ジョイセフとしては会議のたびに代表を送ってきており、この会議がSRHR分野の指針をつくる重要な会議と位置付けています。このような会議を定期的に開催することの意義は、SRHRが依然として、国や地域によっては「逆風」にあい、闘って勝ち取らなければならない理念・ミッションであるからだと思っています。当然の権利であると思いつつも政治的、宗教的に相いれない国々もまだ多数あります。よって、この会議の持つ意義はさらに重くなっているのです。
若者の熱気、リーダーシップそしてイニシアティブ
今回の会議では、参集した一人ひとりの強い意欲と熱気を感じることができました。とりわけ初日に行われた若者会議(Youth Conference)に集まった若者の参加が非常に頼もしく、「志を受け継ぐ者たち」として、この会議を要所・要所で牽引するほどのリーダーシップやイニシアティブを発揮してくれました。アジア・太平洋地域の若者たちの参加は問題を抱える他の国々や地域の問題解決への指針を提示してくれるのではないかと心強く感じました。次世代が主体的に自らのSRHRの課題に取り組み、話し合い、協力し合い、他の国々のピア(仲間)とともに高め合っている姿を見るにつけ、感動すら覚えました。彼らのこの会議での主張がこれからの世代の人々にSRHRの普遍的アクセスを保証する世界を形作っていくことでしょう。SRHRがなかなか日の目を見なかった過去の苦難の時代を経験してきた私としては、心強く感じ、逆に励まされるほどでした。
また、若者を中心にした会議のグループディスカッションでは、会議の運営委員会で事前に厳選された12のテーマに、それぞれが選択し、参加し、1グループでは10分を単位として参加者が4回転し、移動しながら少なくとも最低4つのテーマに参加できるという形式をとっていました。自分の関心の高いテーマで必ず発言する機会が与えられる利点が大いにありました。短い時間ではありましたが、若者の集中力は素晴らしく、それらをまとめた提言も発表されました。とりわけ、包括的性教育のあり方、ジェンダーの平等、10代の妊娠と中絶への取り組み、HIVエイズ・SRHRなどが注目を集めたテーマでした。ここでも、若者がこれからの社会のけん引力となるであろうと強く感じました。
新生ミャンマーでの歴史的な会議
この会議開催は、ミャンマーでは、昨年2015年11月の総選挙の結果を受けて、3月には新大統領を選出し新しい政府が発足するタイミングにもあたっていました。この時期の開催は、会議のもつ意味を一段と高めていました。一貫して人権を基礎にしたテーマが設定されている会議は、ミャンマーのこれからの民主主義国家として、さらに対外的にも評価を高めるものとなったと考えます。
23日の若者会議の開会式で、タン・アウン保健大臣は、変貌するミャンマーを国際社会に知ってもらう絶好の機会となったとも述べました。また、ミャンマーの保健予算が2011年と比較して2015には8.7倍となっていると説明。ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)、保健ケアの変革とともに家族計画(FP)やSRHRへの普遍的なアクセスへの取り組みを重点目標としていると強調しました。さらに妊産婦死亡率及び乳幼児死亡率の削減と思春期へのRHサービスへのアクセスを向上させる方針であると力強く述べました。
基調講演をしたUNFPAアジア太平洋地域事務所の安川順子所長は、依然として若者や思春期の抱えているSRHRの課題がこの地域にも多く、課題は多岐にわたっている。これらの課題をどの社会においてもオープンに話すことのできる環境も作っていきたいし、若者の若者による主体的な活動をさらに支援すると高いコミットメントを表明し、SDGs達成のための参加を力強く呼びかけました。
副大統領が家族計画(FP)やSRHRへのコミットメントを表明
2月24日の本会議においては、サイ・モック・カム副大統領(医師)は、開会の辞で、家族計画(FP)やSRHRへの高いコミットメントを表明しました。開会スピーチの概要は、「2011年の民主化以来5年が経過し、ミャンマーは保健システムの強化を図り、引き続き改革を行っていく。FP2020、ユニバーサルヘルスケア(UHC)2030などの関連の政府としてのアクションプランを策定している。妊産婦や若者へのSRHRサービスを政府としてさらに支援推進する。それがヘルスケアサービスへのアクセスを高め、望まない妊娠の予防につながる。これはFPやSRHRの恩恵である。そして、我が国は持続可能な開発目標(SDGs)達成のため努力を引き続き傾注していく」と述べました。開会式に相応しい、ミャンマー政府の高いコミットメントが第8回会議を通して発信されたと考えます。
副大統領自らがFPやリプロダクティブヘルスという言葉を国際的な公式の場で発信したということは、かつて「FP」は禁句で、「バース・スペーシング(出産間隔)」という置換え言葉を長く使っていた者からするとまさに隔世の感がありました。この5年間の変化・変貌は目を見張るほどです。これからミャンマーはさらにアクセルを踏んで、相当のスピードで国際社会に合流していくことになると強く感じました。また、保健省がいくら尽力しても予算がつかない状態からも抜け出したと考えてもよいのではないでしょうか。今後のさらなる進化を、期待を込めて見守り支援していきたいと思います。
ミャンマーの変化を感じた自由な議論の展開
今回の会議においても、多くの重要なアジェンダが話し合われました。トラックは4つに分かれており、それらは、①全ての人々の保健の権利:SRHRの法律と政策の確立・有効性に向けて、②ガバナンスとアカンタビリティ、③保健の正義:持続可能なSRHRの財務強化に向けて、④保健システムにおけるSRHRの統合、でした。その中で、2つのシンポジウム、①バリ会議からの報告:若者のためのSRHRとFPのアクセスへの提言、および、②母子保健向上のためのMDGsからSDGsへ移行、を運営し、時宜を得たテーマごと話し合われた3つの全体会合と28の分科会がそれぞれの会場で開催されました。すべてを紹介できればと思いますが、残念ながら紙幅が足りません。それぞれのテーマなどについて詳しくは、この会議のWEB(www.mm8apcrshr.org)を見ていただくのがよいと思います。後日、報告も逐次WEB上で発表されると聞いています。
私としては、会議の雰囲気を伝えるのが役割であろうと考えますし、このレポートもその線で描かれています。まずは、この会議でミャンマーが主催国となったことは実に時宜を得たものであったということです。挨拶に立った首脳陣も述べたように、ミャンマーの民主化は2011年から急速に進んでおり、それが、この人権をベースにした会議の運営を可能にしたということです。現在考えられるあらゆるSRHRに関するテーマが4日間オープンで話し合われました。今まで開催してきた他の国々では当然であったことが、ここミャンマーでも躊躇なく自然に話され、ミャンマー国内からの参加者も持論を展開できたということは画期的だったのではないでしょうか。個人個人の権利の視点で、ものを考えるわれわれからすると、ミャンマーがこの会議をきっかけにさらに進化することを心から応援したいと思います。かつては自制のかかっていたミャンマー側の発言は、今回は全くありませんでした。
また、今回の会議が第8回目ということです。今までの積み上げが蓄積された理念、戦略、イノベーション、実践経験、教訓などが、重要なプラットフォームを形成することに貢献しているということです。そして、世界のSRHRの現状からすると、まだまだその役割は終わっていません。連続的に行われてきている会議がSRHRの主流化に貢献してきているのです。さらには、巨大人口を抱えて多様な文化や背景をもつアジア・太平洋地域から発信していることの意義も大きいと思います。
ミャンマーのこれから
ミャンマーがいま熱いとよく言われますが、この会議が、それは政治や経済だけではないと教えてくれています。
今ミャンマーに、企業の進出、投資の集中など、多くの国々や企業が参入してきています。5142万人(2014年人口調査)の人口を持ち、教育レベルが高く、宗教心のあつい誠実な人々が多いと言われている国であり、あらゆる意味で魅力的な国であるのは間違いありません。依然として多くの保健指標の課題を持ってはいますが、それらも必ず克服できる国であると思います。
今回の会議のようなインプットを通して、ミャンマーは、保健、教育、貧困解消やさらなる民主化、そして言論の自由など人権の課題にさらに積極的に取り組めるように環境がつくられていくことと信じています。この会議がミャンマーの報道機関でも多岐にわたり取り扱われたのは喜ばしい限りです。人権問題が真剣に話されたこの会議の意義はミャンマーの背景から考えても大変大きく、さらなるFPやSRHRの推進、そして若者や女性のエンパワーメント、自己決定権の促進に繋がっていくことと思います。
ミャンマーの抱えるSRHRの課題
いま、ミャンマーは真に胸を張れる民主的な国家としての第一歩を示したと思います。しかし、SRHRの改善に向けた投資が必要であるのは間違いありません。以下の示すいくつかの指標のように依然として課題を抱えています。ミャンマー政府には今後も、国民の視点に立ってSRHR分野の重点事業を決めること、特に、母子保健やリプロダクティブヘルス(RH)関連の状況を改善する努力を惜しまないで欲しいと願っています。これらの分野は、政治や経済の大きな課題の影に隠れてしまいがちですが、新たな国づくりのためには重要な分野です。また、保健人材の育成、増員、配置にもプライオリティーをおき、「人間への投資」をさらに促進してほしいものです。保健分野では、新政権の公約でも「基本的な保健ケア提供の拡大」、「妊産婦及び乳児死亡率の低減」、また「栄養不良の予防」などの対策の強化がすでに発表されていることは心強い限りです。
ネピドー・コミットメントの発表
会議最終日2月26日の閉会式では、ネピドーにあるインターナショナルスクールの児童たちが、アジア・太平洋地域の国々の民族衣装を着て楽しませてくれました。着物を着た児童もいました。また白と黒の正装姿の幼稚園児男女10人ずつによるポップ調の歌と踊りも参加者を和ませてくれました。
その後、会議運営員会メンバー代表によって、「ネピドー(NPT)コミットメント」が読み上げられ、セクシュアル・リプロダクティブヘルス/ライツ(SRHR)の普遍的なアクセスの保証への参加者一同の強いコミットメントを、開催国ミャンマー、アジア・太平洋地域そして世界に力強くアピールしました。
また、この会議の運営をサポートした功労者のティン・ティン・テイ保健副大臣は、閉会の辞で、ミャンマーにとって大変歴史的意義のあるこの会議の成果を、私たちはさらに発展させる責務を持ちましたと述べるとともに、参加者すべての会議への貢献への感謝と今後それぞれの立場でのSRHRの実践及び推進にさらなる尽力を呼びかけました。
次回はベトナム・ダナン市で開催予定
第9回会議は、2017年11月にベトナム・ダナン市での開催が予定されていて、ベトナム政府の保健省の代表から次期開催国としての歓迎メッセージが送られました。ミャンマー国際会議場の大ホールに響き渡る惜しみない拍手で、歴史的な会議が成功裏に閉幕し、FP・SRHR、若者・女性のエンパワーメントにとっての、更なる1ページを開くことができたのではないでしょうか。2月23日の若者会議に続いて24日から3日間の本会議という短い期間ではありましたが、中身の実に濃い、そして多大な成果を残した会議だったと思います。
ミャンマーの変化を目の当たりにした私は、会議の熱気も冷めやらぬ首都ネピドーを後に陸路ヤンゴン空港に向かいました。次にこの地を訪ねる機会には、ミャンマーはさらなる変貌を遂げて私たちを迎えてくれることと思います。
(2016年3月、報告者・鈴木良一)
連日報道された新聞記事(一部)
会場内で取材するメディア
母子保健・SRH関連の指標(抜粋・順不同)
指標 | 数値 | 備考・コメント |
総人口 | 5142万人 | 2014年国勢調査(人口センサス) |
妊産婦死亡率 | 178/出生10万対 | Trends in Maternal Mortality: 1990 to 2015:アセアン諸国内でラオス(197)に次ぐ高い数値を示しています。 |
専門技能者の出産立ち会い* | 71% | 2006~2014年平均:農村地域における助産師の配置が遅れています。高い妊産婦死亡率は、医療サービスへのアクセス、人材不足、医療サービスの不足によって起こっています |
避妊実行率(近代的避妊法)* | 49% | 2015年:望まない妊娠による統計に表れない非合法の中絶数も多いと推測されています |
家族計画未充足ニーズの割合* | 16% | 2015年:とりわけ農村地域における家族計画サービスの充実が待たれます |
平均寿命* | 男64歳、女68歳 | 2010~2015年平均 |
合計出生率* | 2.3 | 2010~2015年平均 |
中等教育就学率* | 男子46%、女子48% | 1999~2014年平均 |
乳児死亡率 | 40/出生千対 | 2015年WHO |
(*の出典は「世界人口白書2015」)