世界の家族計画運動のはじまり:ふたりの女性の出会いから

  • インタビュー&ストーリー
  • レポート

2016.6.9

加藤シヅエ Mサンガー 1955年今回は、世界的な家族計画運動のパイオニアである二人の女性を紹介したいと思います。
米国人のマーガレット・サンガー(1879-1966)と日本人の加藤シヅエ(1897-2001)の二人です。

この二人の女性の出会いがなかったら、世界の家族計画運動はさらに遅れた可能性があったといえるでしょう。

マーガレット・サンガーは、世界でもいち早く、いまから104年前の1912年からバース・コントロール運動(Birth Control、サンガーの造語、1914年に出版物にこの言葉が使われたのが初めて)を提唱。女性の命と健康を守る目的で、米国における家族計画運動を開始しました。当時、「バース・コントロール」は、アメリカにおいても先進的な考え方でした。コムストック法(同名の上院議員によって法案化された法律)によって、避妊具の移動の禁止、また避妊具を猥褻物としていたなど、バース・コントロールは取り締まりの対象となっていた時代でした。

サンガーはそれにもめげず、自身のニューヨークのスラム街における、ヘルスワーカーとして直面した女性が自分の手で行う中絶。それによって命を落としている女性たちの命を救う方法はないかと苦悩していました。サンガーはヨーロッパを駆け巡り見つけたダイアフラム(ペッサリーのこと。膣内に入れて子宮の入り口に蓋をするような避妊具)の普及活動を開始したのです。コムストック法により、サンガーは何度も(一説には8回もの)逮捕・留置を受けました。しかし、決して歩みを止めることはありませんでした。サンガーの高い志はひるむどころか、そのたびに高まっていったと、後に本人が語っています。

サンガーの感化を受けた日本人女性が、加藤シヅエでした。

この二人が1920年1月17日にニューヨークのサンガー宅で初めて出会ったのです。その時サンガー40歳、シヅエ22歳でした。社会主義の影響を受けていたシヅエは、日本の三池炭鉱の女性鉱夫たちの生活の実態から、望まない妊娠で生まれた子どもたちと母性の発達について疑問を抱いていました。生まれてくる子どもが全て望まれた子どもであるためには、自らの出産を自ら決定できることはできないものかと苦悩していました。

二人が生涯をかけて取り組む「ミッション」がここで重なったといえます。のちにサンガーがシヅエのことを「魂の友(ソールメイト)」と称した理由はそこにあります。国境を越えて、文化を超えてふたつの魂は出会ったのです。そしてその後生涯にわたって強い絆で結ばれていました。

二人の出会いが、2年後の1922年のサンガー初来日に繋がっていきますし、その来日が日本における全国的な家族計画運動のきっかけともなっています。

しかし、当時の日本は軍事色に染まってきており、徐々に自らで出産をコントロールするような思想を「危険思想」とする風潮となっていました。サンガーの来日時にはビザが発給拒否という制裁をうけましたが、家族計画の話を一切しないと言う条件付きで入国が許されました。しかし、メディアがサンガーを「産害夫人」と書いたり、危険思想者として、取り上げられたりしたことが、逆に、サンガーやバース・コントロール(産児調節)の認知度を上げると言うことにもなったといわれています。

これをきっかけに、家族計画は、一旦は新しい考え方として、また女性の命を救う方法として日本にも定着するかに見えたのですが、当時日本で拡大していた軍国主義は、それを許しませんでした。「産めよ、増やせよ」という時代へと入り、避妊などは、全く受け入れられない社会へと変貌していくのです。まさに家族計画や女性の自己決定権においては「暗黒時代」へと入っていきます。

アメリカと日本はその後、戦争状態となりますが、マーガレット・サンガーと加藤シヅエの同志的なつながりは戦時下でも途絶えることはありませんでした。

そして、二人は戦後、家族計画の世界的普及に挑むことになります。

ついには1952年(昭和27年)に国際家族計画連盟(IPPF)の発足にもつながっていきます。サンガーを中心に世界中の女性の自己決定権を掲げる8人の女性たちがインドのボンベイ(現在のムンバイ)に集まりました。シヅエもその一人として日本から参加しています。二人の女性の出会いが、世界的な家族計画運動へと発展したのです。現在、私たち一人ひとりが避妊という手段を自ら選ぶことができるようになったのも、彼女たちの女性の命や権利を守る闘いとたゆまない貢献があったからこそであると断言できます。

第5回国際家族計画会議(東京)1955年10月1955年(昭和30年)東京で開催された第5回国際家族計画会議での二人。

現在IPPFは、世界170カ国以上で活動を展開しています。

2人の出会いからほぼ1世紀。
改めて2人のパイオニアの世界の隅々にまで浸透する高い「志」やあらゆる苦難を乗り越えてきたその「スピリット」を学びたいと思います。
 
 
(ジョイセフ常務理事 鈴木良一、2016年6月、東京にて)