加藤シヅエさんの言葉・人となり
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2016.6.13
加藤シヅエさん(1897-2001)がジョイセフの会長であったころ、私が直接伺った言葉とシヅエさんの人となりを思い出すままに記録しておきたいと思います。
ご一読いただければ幸いです。
心(こころ)
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「1日に10回感動すること。どんな小さなことでも感動できるやわらかい心でいたいですね」
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「学んで老いず。いくつになっても学ぶことを忘れてはいけません」
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「常に怒りを持って社会をみてください」(社会悪と闘う)
使命・信念
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「政府(国家)は女性の子宮に入ってはいけません。子宮は女性のものです」
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「私たちの闘いは、いまだ終わっていません。私たちの闘いはこれからです」
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「女性のエンパワーメントのためには、男性の協力が不可欠です」
人生観
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「いいですね、お若くて」(100歳の時に私たちに語りかけた時のひとこと)
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「死ぬまで現役であり続けたいものです」
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「サンガーさんとは戦争中も「魂」でつながっていました(魂の友、ソウル・メイト)」
加藤シヅエさんの人となり
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明治・大正・昭和・平成の4つの時代を生きぬいた人(享年104歳、生涯現役)
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人生を決めたサンガーさんとの出会い(1920年(大正9年)22歳、サンガーさん40歳)
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尊敬する女性はジャンヌ・ダルク(15世紀フランスの国民的英雄、百年戦争でフランス軍の先頭に立ち勝利に導く、最後は火刑、享年19歳)
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女性の自立を目指し、「産児制限」「女性解放」運動を続けた。意志の強さと行動力の人。信念の人。サンガーさんとともに国際家族計画連盟(IPPF)の創設者たち(Brave and Angry Women(勇気ある怒れる女性)のひとり。1952年(昭和27年)設立)
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38歳で自叙伝「Facing Two Ways」(邦訳:「ふたつの文化のはざまから : 大正デモクラシーを生きた女」(青山館、1985年))を出版(1935年(昭和10年))、日米の和平を求めた。
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1937年(昭和12年)、人民戦線派一斉検挙で2週間留置、「留置場は、一度は入ってみるものですよ。鉄格子のどちらが「中」か「外」かが分かりました」
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戦後初の女性国会議員第1号(39名の女性議員が当選)
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「再婚っていいものです。世の中の酸いも甘いも噛み分けた二人の新しい人生が大切に感じられる」(石本恵吉男爵との離婚(1944年(昭和19年))後、加藤勘十氏(後の日本社会党衆議院議員・労働大臣歴任、当時52歳)と再婚(47歳)。翌年(1946年(昭和21年))多喜子(タキ)を出産(48歳)。
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「長生きも与えられた才能ですね」
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長生きの秘訣は「風邪をひかない、義理を欠け、転ばない」ことです。
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勘十氏(1978年逝去、シヅエ81歳)と今でも「魂」の会話を続けています。
(ジョイセフ 常務理事 鈴木良一、2016年6月、東京にて)