ひとジョイセフと一緒に、世界を変えていく「ひと」

ファッション業界と社会貢献はつながることができる。それを知ってはじまった、女性の支援という「ライフワーク」。

モデル / ジョイセフアンバサダー

冨永 愛

2022.8.29

17歳でNYコレクションにてデビュー後、世界の第一線でトップモデルとして活躍。モデルの他、テレビ、ラジオ、イベントのパーソナリティ、俳優にも挑戦。公益財団法人ジョイセフアンバサダー、消費者庁エシカルライフスタイルSDGsアンバサダー、国連WFP(世界食糧計画)協会顧問、〈ITOCHU SDGs STUDIO〉エバンジェリストなどを務め、伝える活動にも力を注いでいる。著書に『冨永愛 美の法則』『冨永愛 美をつくる食事』(ともに、ダイヤモンド社)がある。

 


 
2010年、世界の妊産婦の命を守る「ホワイトリボン」を普及するジョイセフのイベント「MODE for Charity」に参加。その年に支援先であるザンビアを訪問し、翌年にはジョイセフのアンバサダーに就任した冨永愛さん。イベントへの登壇やSNSなどでの発信を通して、主に開発途上国の問題などの現状を伝えています。今回は、冨永さんにジョイセフで活動することへの想い、これから活動を通して伝えていきたいことなどを聞きました。

―これまでジョイセフで活動してきたなかで、印象に残っていることを教えてください。

最初にジョイセフと関わることになった「MODE for Charity」というイベントは、ファッション業界と社会貢献がつながれるということを初めて知るきっかけになりました。当時は、日本でファッションと社会貢献とのつながりを感じることがあまりなかったので、それはとても印象に残っています。

また、アフリカ大陸のザンビアやタンザニアへの訪問は初めてだったこともあり、土の色も、人種も違う遠く離れた国々を訪れた経験は印象的でしたね。彼らも私たちも、家族に対する愛情は変わらないですが、生活様式や慣習はまったく違う。日本で常識であることが、向こうではそうとは限らないですし、当然、逆もまた然りで、カルチャーショックを受けることはたくさんありました。でも、実際に現地を訪れたことで、自分の目で見て、肌で感じたことを言葉にして伝えるということの重要性を改めて感じました。

ザンビア2010年の視察 現地の女性たちとのファッションショー

―ジョイセフでの活動を「ライフワーク」と公言してくださった理由、どのように考えているかを教えてください。

自分で行動して対価をもらうものが仕事だとすると、それとはまた違う活動と捉えています。ジョイセフでは、自分の想いで、一人の人間として動いていますね。ジョイセフに関わっている方はみなさん、自分ができることをいろいろな分野でやっていらっしゃいますが、私もその一人だと思っています。

―アンバサダーとして“ジョイセフの広報”を先導し、世界の現状を広く伝えていくことで、多くの人々に何を伝え、どう動いてもらいたいですか?

私がジョイセフの活動に出会ったのは、自分の子どもが幼稚園生になった頃でした。当時、子育てをするなかで、同じ地球上の同じ時間に生きている人たちが、大変な思いをしていることを知ったんです。改善できる問題すら改善できず、命を落としている人がいるという現状が、やっぱりとても辛かったんですよね。日本にも、もちろん少なからず問題はありますが、自分がとても恵まれているということに気づいた。そうであれば支援をするというのが、当たり前のことだと思ったんです。

ジョイセフに参加した当時(2010年)は、SNSなどもそれほど普及していなかったので、地球の裏側で起きていることを想像し難い世界でしたけれど、いまは関心を持てば欲しい情報にすぐにアクセスできます。昔よりも身近に感じられるツールもありますし、最初のステップとして、そうした問題を知るということが大切だと思っています。

まずは知ること、その次に考えること、そして行動すること。私自身もマンスリーサポーター「ジョイセフフレンズ」になっていますが、1人でも多くの方に途上国の女性たちが抱えている問題を知ってもらい、ジョイセフの活動に賛同して参加していただけたらうれしいです。そうすることで、情報もより多く得られると思います。

―冨永さんがジョイセフの活動に参加された2010年当時といまとで、変わったと思うことはありますか?

私が一番うれしかったのは、活動を始めた時に1日1000人の妊産婦さんが亡くなっていたのが、いまは800人ちょっとに減ったということですね。大きな変化ではありませんが、少しずつ変わってきています。最終的には、知識がないという理由で妊産婦さんが亡くなる数字をゼロにしたいなと思います。アフリカ大陸だけでなく、いろいろなところで問題が起きているので、また現地を訪れて、自分が見てきたことをみなさんにお伝えできたらいいです。

―アフリカはもとより、日本やほかの国々でも多かれ少なかれ、そうした女性の人権にまつわる問題が可視化されるようになりましたね。

ジョイセフにも「I LADY.」というSRHR(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ:性と生殖に関する健康と権利)に関する活動がありますが、先進国はまた、先進国なりの問題を抱えています。

日本では出産年齢が上がり、女性の健康や妊娠出産の問題が、以前より表面化されるようになりましたが、他の先進諸国との違いとして、日本では女性が社会活動を続けるための制度も、とても遅れていると感じますね。女性の生きていく環境をよりよくするためにも、考えていかなければならない。私が出産をした時は、産婦人科に女性の先生はほとんどいませんでした。そうしたことも問題の一つだと思います。

2011年宮城県釜石訪問 地域の女性たちと ©Leslie Kee

アフリカを訪問した時、10人以上の子どもを産んでいる女性が、体の負担を受け入れてもらえず、ノーと言って拒むことができないという現状を知りました。自分の体を守ることは当然の権利のはずですが、そうでないことが当たり前の慣習のなかにいることで、問題意識が持てない。それが、そもそもの大変なところだと思います。その前提のなかで、いまのやり方でなく、こっちのほうが安全で、赤ちゃんのお母さんの命も守れる方法だと伝えていくことの難しさを感じます。

アフリカや日本などの国に関わらず、当たり前にそうであり続けた状況を変えていくのは、一番大変なことだなと思います。

2012年 タンザニア視察 村の女の子へのインタビューの様子

―そういう意味でも、まずは「知る」という土俵に立つことが大切なことですね。

そうですね。例えば、私たちが当たり前に使っている生理用品でさえも、さまざまな問題を抱えています。使うものや使い方でトキシック(毒素性)ショック症候群になる可能性があるということを、私も最近知りましたし、かわいいパッケージで売られている生理用品を、トランスジェンダーの人たちは買いづらいということ一つを取っても気付きだと思います。知らないと問題にも思わない。

2013年 飛鳥高校での特別授業

性教育についても、日本の学校では妊娠する過程を教えない風潮になっていますが、仕組みがわからないから望まない妊娠をしてしまったりする。それは、アフリカと同じですよね。避妊の仕方なども、選択肢の一つとして、学校で教えておくべきだと思います。

2019年 獨協大学での国際ガールズデー特別講義

閉経も日本ではネガティブなことと捉えられているので、それも変えられたらいいなと思うんですよね。生理が始まるのが第2の人生だとしたら、閉経によってまた第3の人生が始まる。それはある意味、ステージが上がっていく楽しみという考え方に変わってもいいと思いますね。私が海外で出会う友人たちのほうが、歳を重ねても性や恋愛を楽しんでいる女性が多いのがいいなと思います。

これまでやってきたアフリカへの支援ももちろんですが、今後はジョイセフが取り組んでいる日本でのSRHRなどの活動にも、力を入れていきたいですね。

冨永愛アンバサダー着用の「ホワイトリボンフェス2022 公式Tシャツ」。お求めはジョイセフチャリティーショップから

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