ひとジョイセフと一緒に、世界を変えていく「ひと」

同じ思いで結ばれる「友」として、 ジョイセフと一緒に歩いていく。

ジョイセフフレンズ/I LADY.リージョナル・アクティビスト

宮家 恭子

2022.7.27

ジョイセフと出会ったのは2011年、「思い出のランドセルギフト」がきっかけでした。女性の命と健康のために働く団体であると知り、共鳴した宮家さんは、ボランティア活動をスタート。その後アルバイトスタッフになり、退職後は「ジョイセフフレンズ」として、長年にわたって関わり続けています。

2022年6月からは、セクシュアル・リプロダクティブヘルス/ライツ(SRHR:性と生殖に関する健康と権利)を学び普及する若者をサポートする大人ボランティア、「I LADY.リージョナル・アクティビスト」に。さらに外国籍の親子に日本語を教えるボランティア、実家の保険代理店での業務、3人の子どもたちを育て上げた親でもあります。汲めども尽きない、そのエネルギーはどこから?

「ひとつ思い当たることがあります。私は出会いに恵まれたら、そのご縁から離れず、ずっと大事にすると決めているんです。人との出会いやいろいろな活動、趣味のテニス。それが今の私につながっているし、力の源だと思います」
ジョイセフも同じように、人生に深く関わる縁だったと言います。


原点にあったのは、妊娠や出産が悲しみではなく、「幸せな体験」であってほしいという願い。

―ジョイセフを知ったのは、東日本大震災がきっかけだったそうですね。

被災地支援の情報を集めていた時、偶然、アフガニスタンの子どもたちにランドセルを届けているジョイセフの記事を見つけました。調べてみると、世界各地で女性と妊産婦のために活動している団体とのこと。興味が湧き、ちょうど募集していたボランティアに応募しました。

まずオフィスを訪問させていただきました。ボランティアの内容は、当時、活動資金源のひとつとなっていた使用済み切手(現在は収集終了)の整理など。作業する場所はポジティブな良い雰囲気が満ちていて、早速お手伝いを始めることに。自宅からオフィスまで自転車で通いました。

当時は地元である文京区の保健サービスセンターでもアルバイトをしていました。乳幼児健診で保健師さんを手伝ったり、母子交流会の世話係をしたり。センターとジョイセフ、どちらもお母さんと赤ちゃんに関わる活動で、自然と心惹かれました。

私には子どもが3人います。どの子も苦労なく妊娠し、自然分娩で生まれ、無事に成人しました。子育ては大変で、体調を崩したり寝不足でフラフラでしたが、おっぱいを飲ませている時の幸せな気持ちは言葉にできません。

こうした自分の体験を「当たり前」と思っていましたが、保健サービスセンターやジョイセフで見聞きしたことを通じて、そうではないと気づきました。妊娠・出産で命を落とさず、母子ともに健康でいられたのは、どれだけ恵まれていたか。
以来、私はできるだけ多くの人が悲しい思いをすることなく、妊娠や出産で幸せな経験をしてほしいと願うようになりました。

ー子育て中は専業主婦だったそうですね。どのようにして再び社会での活動を始められたのでしょうか。

結婚前は外資系のコンピューターメーカーなどで働いていて、第1子を妊娠して退職。次々と子どもが生まれ、子育てに専念していましたが、末っ子が小学3年生の時にママ友達から保健サービスセンターのアルバイトに誘われたんです。子どもたちが学校に行っている時間ならできると考え、思い切って働き始めました。

センターの仕事に慣れた頃、ジョイセフのボランティアも始めました。その1年後、ジョイセフでアルバイトの募集があると知って応募し、晴れてスタッフになったのです。

ジョイセフでの仕事は使用済み切手の整理や、支援物資の管理、発送など。ランドセルの寄付に関するお問い合わせにも対応し、やりがいがありました。ところが実家の父が病に倒れ、家業を手伝う必要に迫られて、やむなくジョイセフは退職することに。それでもつながりを持ち続けたくて、マンスリーサポーターの「ジョイセフフレンズ」に参加することを決めました。

私は、大切なものに巡り合えたら、ずっと丁寧につないでいくのを人生訓にしています。人との出会いも、趣味も、社会での活動も、それが今の私を作っていると思います。

「ジョイセフフレンズ」という選択は、つながり続けるために。

ーフレンズとして、ジョイセフとのつながりを実感できていますか。

とても実感していますし、より関係が深まったかもしれません。どんなことも、熱狂的に興味が盛り上がった場合は早くさめることが多いけれど、ジョイセフとのつながりは一時のブームでは終わらせたくなかった。フレンズという「つながり」を持てば、継続的に関心を持てると思いました。

実際、それは期待通りでした。フレンズになると、ジョイセフからプロジェクトの報告や多様な活動、気になるトピックがメールで届き、リアルタイムでのつながりが途絶えません。最近ではアフガニスタンへの緊急食料支援の呼びかけがあり、すぐ協力することができました。

ーご家族にも変化がありましたか。

子どもたちは、私が以前ジョイセフで働き、今もフレンズやボランティアとして活動しているのをよく知っています。

次男が小学校を卒業してランドセルを寄付しようとしていた時、ちょうどアフガニスタンからジョイセフの現地協力団体「アフガン医療連合センター」事務局長のババカルキルさんが来日。ランドセルを保管している倉庫を訪問されるというので、次男と娘を連れて行きました。

ババカルキルさんのお話を聞いたり、集められたランドセルや送付に向けた作業を見た体験は、子どもたちの記憶に深く刻まれたようです。娘も卒業するとランドセルの寄付を希望しました。今でも児童婚やジョイセフが取り組むさまざまな課題について、家族で話し合うこともあります。

娘の青いランドセルを持参して、ランドセルの検品作業にボランティアで参加。

私自身は、性教育や知識を得る機会が少ないまま大人になりました。ジョイセフとつながってから、生理や避妊、妊娠の仕組みなど、どれほど知識不足だったか、もっと自覚を持っておくべきだったと思いました。

ですから娘には自分の体について理解し、守れるようになってほしくて、ジョイセフが監修・協力した『世界女の子白書』という本を渡しました。世界で、日本で、女の子たちがどんな性の現実を生きているのか書いてある本です。ほかに「チャリティーピンキーリング」もプレゼントしました。ひとつ買うたび、売上の一部が世界の女の子のために寄付されるアイテムです。時々着けているのを見るとうれしくなります。

娘は生理痛などについて隠さずオープンに話すので、兄二人もごく自然に、女性特有の体調のゆらぎを理解できるようです。子どもたちはそれぞれ食器洗いやお風呂掃除など家事を分担していて、妹の体調が悪い時は、兄たちが彼女の分もやってくれるんですよ。

もともと男女分け隔てなく育てていましたが、ジョイセフに出会ってからは、いっそうジェンダー平等を意識しています。息子たちにも「女性が全部の家事をする時代は終わり。結婚したら何でもできることを一緒にしてね」と伝えています。

ージョイセフに関わることで、性やジェンダーについて考える機会が増えたのですね。

まさにそうです。ジョイセフの男性スタッフは、配偶者を「家内」や「嫁」と言わないカルチャーがあるんですよ。「愚妻」と卑下して言うなんてもってのほか。「パートナー」が基本で、「スイートハート」と愛を込めて呼ぶ人もいました。

ジョイセフでSRHR(性と生殖に関する健康と権利)という言葉に出会った時、私が何を目指していたのか初めて理解できたと感じました。それは基本的人権で、人が生きるうえで最も大切なこと。なのに、なぜそのテーマを話すのがためらわれるのか、疑問に思うようになりました。

何より大きな変化は、世界に目が開かれたことです。たとえばザンビアでは、女性も男性もSRHRを推進するボランティアとして活動しています。人前に立ち、女性の体をかたどった「ジョイセフエプロン」という教材を身に着け、生殖器や胎児の成長について正しい知識を伝えたりするのです。このように男女が一緒に保健推進や啓発活動に取り組むのはすごいことだと思いました。

以前は海外支援と言えば、日本が「助ける、教える立場」というイメージを持っていましたが、他の国々から学ぶことがたくさんあると知りました。たしかに日本には母子手帳や、医療をはじめ優れたヘルスケアの土壌がある。しかしジェンダー平等については遅れているし、なかなか進まないという現実を、世界を見るほど気づかされます。子どもたちにも「次の世代がより公平で、幸せな社会に暮らせるように」という思いで、意識的に話しかけるようになりました。

専門的なアドバイザーにはなれなくても、「私らしい方法」を見つけた。

―若者たちをサポートするために、I LADY.の「リージョナル・アクティビスト」としても活動を開始されましたね。

ジョイセフからお声かけいただきました。私の地元である文京区で、「若者ピア・アクティビスト」をサポートする大人ボランティア、「リージョナル・アクティビスト」を募集するというのです。

ピア・アクティビストは、SRHRの基本をジョイセフの研修で学び、自ら実践しながら同世代に伝えていく若者たち。その彼らをサポートするのが大人ボランティアの役割です。

やりたいと思う一方、私で良いのか戸惑いました。これまで経験したアルバイトやボランティアとは違い、リージョナル・アクティビストは助産師や大学の先生など専門家が多数参加し、知識を活かした助言などを行っています。

けれど悩むうちに、ふと「聞く」というあり方でも良いのでは?と思いつきました。彼らの疑問には答えられないかもしれないけれど、作り上げたものを見たり、言葉に耳を傾けることはできる。もちろん会場設営や、縁の下の力持ちの仕事も。

そう思う理由は2つありました。ひとつは、日本語を教えるボランティアで得た気づきです。私は外国にルーツのある親子向け日本語教室でボランティアをしています。「教える」ことはできませんが、そこに来る人たちは話す練習をしたくて、教わる以上に「聞いてもらうこと」を求めている場合があります。話して、聞いてもらって、伝わったという実感が自信になるのですね。ピア・アクティビストの皆さんにも同じように、彼らの言葉を「聞く」ことでサポートできると思いました。

もうひとつは学生時代、企業が主宰する「交通安全キャンペーン」というボランティアに参加した経験です。大学生だった私たちが研修を受け、各地で子どもたちのために交通安全のレクチャーをしました。
私は岡山や沖縄などに泊りがけで行きました。企業が旅費を負担し、現地での移動や会場設営は地元の社員さんが手配して、私たちが思いきり活躍できるよう、縁の下の力持ちをしてくださいました。おかげでとても充実した体験をさせていただいたのです。

同様に、ピア・アクティビストとして活躍する若い人たちが、どんなプランを作り、実行するか。それを支える大人の中には、アドバイスや知識でサポートする専門家もいるし、私のように話を聞いたり、裏方として運営を手伝う人がいてもいい。そう思うと、活動に参加するのが楽しみになりました。

現実を変えるには長い時間が必要だから、「フレンズ」という継続支援が力になる。

ーさまざまな形でジョイセフと関わってこられましたが、特にフレンズとしてはどのようなことを感じていますか。

私はフレンズとして継続的に寄付をしています。うれしいのは、自分が何を支援しているのかダイレクトに分かること。定期的にメールが届き、「母子の健康を支えるプロジェクトがここまで進みました」「若者のSRHRの知識を増やす活動を行っています」というふうに、最新の活動の進捗が共有されるのです。支援の最前線とつながっている実感がすごくあります。

この体験は「寄付」という言葉では表現しきれないと思います。フレンズの支援によって、アフガニスタンでは母子の医療や栄養状態が改善されている。アフリカでは男女がともにSRHRの推進に取り組み、その姿から私たちは多くを学んでいる。身近な日本では、子宮頸がんの予防啓発やHPVワクチンの情報発信、性教育の推進など、私や周囲の大切な人たちが直接恩恵を受けています。
遠い国の誰かが幸せになる。世界中の人々と学び合う。私たち自身のSRHRが実現していく。フレンズは、その全部に参加しています。

ジョイセフが取り組む多くの課題は、簡単には解決できません。でも、長い年月をかけてアプローチを続けていけば、着実に変えていけると信じます。
フレンズという継続的な支援はとても力強いアクションですし、私の信念にぴったりです。実は、ジョイセフと私は同い年。これからも志を分かち合う「友」として、SRHRを進めていくプロセスを、永く一緒に歩いていこうと思います。

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